昨日は、朝から友人とウォーキングをした。





色んな事を喋りながら街まで歩き、昼間からガパオライスを食べ、ビールを飲んだ。





子供達の事も話したが、彼は普通に聞いてくれた。





「何処で、まだまだ単身赴任をしている様な感覚で居たと思うんよ。元嫁さんが再婚したと言う事を知り、子供達が遠くに離れる事で、ようやく、本当に離婚したと認識たのかな。悲しい気持ちで今週は仕事にならんかったんやけど、もう父親ぶらないでいいと考えたら、なんか自由になった気がして、パートナーを作りたくなった。」



 


彼は慣れないウォーキングに、息を切らせながら、うんうんと聞いてくれ、気持ちを分かってくれる。





これまでの人生に於いて、必ず一人や二人は、そうした理解者がいて、寄り添ってくれるのは、感謝しか無い。



前回のブログに書いたように、全ては過去の自分が引き起こした結果である。





「因果応報」を疑わなくなると、以前のように、落ち込み、引きずる事に違和感を感じた。





人のせいでは無く、自分の言動や判断が引き起こした事で有れば、泣いていても仕方が無い。





金曜日は、車の中で泣いてしまったが、因果応報の理を理解し、受け入れると、すぐに涙は止まった。





元嫁さんには、確かに散々な目に遭わされたが、彼女と関わり、彼女と一緒になり、彼女と子を作ってから離婚に至るまで、全て選択したのは自分自身である。





今の自分から見れば、彼女に魅力を感じないが、当時の自分は彼女を必要としていて、彼女を愛していた。





と同時に、いつかこうなる事も、頭の中では否定していたが、何処で予見はしていた。





今、この局面を迎え、子供達と離れるのを悲しく感じているが、当時の予見に従って、早めに別れていれば、このような悲しい目には遭わなかったのかも知れない。





が、おそらくそれは避ける事が出来無かった。





何故なら、その当時は、彼女の事を愛していて、必然と二人の子供達がこの世に生を受けた。





予見に従って別れていれば、二人の子供達とは会う事が出来なかった。





二人の子供達が生まれ、離れてはいるが、元気に育ってくれている。





子供達の成長を近くで見たり、父親ぶって彼等に様々な事を教える事は出来ず、それを悲しく感じるが、二人とこの世で出会えた意味を考えると、今の自分の悲しみ等、大した問題じゃないのだろう。





それに、今は悲しい気持ちはあるが、因果応報の理からすれば、今何を考え、どう判断して、何を言い、どう動くかによって、先に良い応報と転じる事も可能と言う事だ。






更に、早めの子離れに少し不安を感じるが、そうした親の不安は要らぬ気となって、彼等に良からぬ影響を与えてしまうと気付きが有った。






忘れる事は無いが、無事を祈り、彼等を信じながら、自分の人生を生きた方がいいのだろう。



若い頃は、何か意にそぐわぬ事に遭遇する度、しゃにむに抗おうとして、ぶつかって来た。





何とかしようと、抗い、争い、互いにボロボロになり、精神を擦り減らせてしまっていた。





今から考えると、その時々で起きる事の全ては、因果によってもたらされた結果であり、抗っても、争っても、避けられない事であったのだろう。





二度目の離婚をする際は、まだまだ抗い、争い、互いに神経を擦り減らせ、離婚してからも、しばらくは元嫁さんに対して、恨みつらみを抱えていた。




昨年、様々な執着を解放する際、元嫁さんに対する執着も解放した。





更に、自分が選択した結果である事を受け入れると、負の感情は薄れ、むしろ、二人の子供を産んでくれた事に感謝の気持ちを感じる様になった。





若い頃のままであれば、今回の事に対して、抗い、争っていたのかも知れないが、それはいい結果を生み出さないだろう。





若い頃は、因果応報の理を理解せず、自分の力で何とかしようと、抗い、争って来たが、自分の事を過信していたのだろう。





因果応報の理を理解し、周りに起きる事に対して自分にはどうする力も無い事を受け入れると、抗う気持ちは無くなった。



そうした自分の内面の変化を感じ、まるで、自分の事をカニのようだと思った 笑





岸にしがみついていても、寄せる荒波に抗えず、流されてしまう。





最初はジタバタするが、白波の中で洗われ、上も下も、右も左も分からなくなり、やがて、諦めて、波の流れに身を任せるようになる。





白波の中で、流れに身を任せながら、陽の光が差し込むのを見上げ、カニは何を思うだろう?





「生きたい」と言う考えは有ったとしても、もしかしたら、生死すら、自分には選択する力が無いと言う理を、当たり前のように受け入れているのかも知れない。






自分よりも年配の方に、





「50代はどうですか?」





と聞くと、彼等が口をそろえた様に、





「50代は色んな力が抜けて、楽しいよ♪」





なんて話していた意味が、少し分かった気がした。