これまでに無いような、清々しい日々を送れている。




離婚後、神社参りを始めるようになり、朝晩、神宮さんのお札に向かい、




「どうか今日一日を、清々とした気持ちで過ごさせて頂きますよう、お導きください。」




とお願いして来た。




嫌な事が有った時には、気持ちが腐りそうになったり、日々に空虚さを感じたりしても、清々と過ごそうとマインドセットを行い、なんとか調子を下げずに来た。




以前のブログに書いたように、ここ数年、遊びをなくし、人付き合いを最低限にして来たので、調子をキープするのが精一杯であり、気分が上がるような事が無くなった。





今も変わらず、仕事とウォーキング、筋トレの生活を続けていて、最近は、バーにも行かなくなったのだが、日々、清々としていて、気分良く過ごせるようになった。





寝に入る時も、あれこれ考え込む事無く、布団に入って2、3分で、意識が無くなる 笑





最近は、ダラダラとテレビを見ながら酒を飲むのもやめ、23時頃には寝るようにしていて、朝5時頃に目覚めるのだが、起きた瞬間から気分が良くて、パッチリと目覚める。





朝ごはんを食べながら、今日の予定を確認して、やる事リストを書き出し、シャワーを浴びて、マインドセットを行い、清々とした気分で、仕事に向かう。





以前は、朝一、「あ〜、ダル」とか、「会議意味ないし、、はぁ〜」とか、頭に浮かんで来て、動きたくないのを、無理矢理動かしていた 笑





まるで、散歩を嫌がる犬🐕を引きずって歩くような感覚だったのだが 笑、嫌々がなくなった。





営業していても、以前は、嫌気から、常に面倒くささを感じ、腰が重くなっていたのが、あれこれと考え込まず、予定通りに意気揚々と訪問して、笑いながら話していたら、自然と良い話が舞い込んでくるようになった 笑





いつからか、責任感や数字に追われ、仕事を楽しめなくなっていた。





おそらく14年前、会社を変わってから、以前の会社と比べて、今の会社の体制に違和感を覚え、嫌気を感じながらも、責任感だけで仕事をして来た。




成果は出せていたが、嫌々なので楽しさは無くて、更に、「嫌な環境でも、成果を出しているだろう?何か?」と、傲慢な気持ちになっていた 笑





そりゃあ、そんな姿勢や気持ちでは、うまく行くはずも無い 笑





かと言って、人から、





「okkey@さんは、百戦錬磨ですよね。」





等と褒められても、それを素直に受け入れない 笑




まだまだ!と、更に成果を出して、自己を肯定しようとしても、常に、潜在意識の自己否定感が相殺していて、いつまでも自信が持てずにいた。





否定と肯定が、上下に引っ張り合っていて、成果を出して褒められれても、肯定感が上がる事無く、逆に、人に否定されたりするような事があれば、否定感のバネが強く働いて、肯定感が引き下げられ、その度に自信を喪失していた。





巨人の星の飛雄馬のような、強制ギブスを付けて、嫌な事を延々とやり続けていて 笑、いつも、しんどかった。





ここ一年くらいを掛けて、否定感を無くすと、強制ギブスがバイーンと外れ、それまでいくら鍛えても、上がらなかった肯定感が、一気に上がった 笑笑





昨年までは、仕事が嫌で嫌で仕方が無かったのだが、強制ギブスを外すと、嫌と感じる事無く、楽にこなせていて、嫌気をものともしなくなった。





「理不尽な事でも一生懸命やってみなさいよ!」





以前、嫌な事が続いて、目の前の仕事にやる気を無くした教師の方に、お坊さんが、そんなアドバイスをされていて、それに反発を覚えた。



 


教師の方は、理不尽な仕事をやる気にならず、別のやりたい事を探したいと相談していたのだが、お坊さんは、





「一生懸命、死にものぐるいになって、子供達の事を考えてやってごらんなさいよ!その先に必ず道は拓けますから!」





なんて言っていて、その時は分からなかったのだが、ようやくその意味を理解した。





今の職場を、ただ嫌だとか、理不尽だと感じていたのは、自分に力が無く、自信が無いのを、ただ、周りのせいにしていただけなんだろう。





自己否定感によって、自分も周りも、否定的に、嫌だ嫌だと捉えながらも、自分をギブスで縛り付け、ひたすら鞭を打ち続けて来た 笑





そりゃあ、そんなガチガチな状態では、周りに何を言われようが、素直に聞く耳を持てなかったろう 笑


 


ようやく否定感を無くすと、強制ギブスが外れ、嫌だとか、理不尽だとか思う間も無く、むしろ楽しみながら、目の前の事をこなせるようになった。




否定感を無くした事で、肯定感が一気に上がり、これまでに感じた事の無い自信が、内から溢れてくる♪





お坊さんが言っていた、「乗り越えると、その先に道は必ず拓ける」予感を、ひしひしと感じていて、先が楽しみで仕方が無い♪





ヒャッホー!と飛び上がり、何処に走り出したいような衝動に駆られるが 笑、今は、変わらず仕事と筋トレ、ウォーキングの日々を続けている。





会社でも、若い人に、趣味が神社参り⛩だと話していると、





「神さん参りはした方がいいんですか? 神さんって、なんなんですか?」





なんて聞かれる事がある 笑





そんな高尚な事が、自分にわかるはずもなく、答えに困った 笑





昔読んだ、「成功する人はみんな神社参りをしている。」と言う本には、神さまは、何か決まった様相をしている訳で無く、様々なものに宿っていると書いていた。





神社や神宮に行くと、奥に神さまがおられ、皆が神さまの前で、真摯な気持ちになって、お参りをする。





何か決まった様相をしていないと書いてあるのに、オオクニヌシノミコトさんとか、イザナギノミコトさんが、神さまとして祀られていて、なんだかよく分からなくなるが、御神木など、木にも神さまは宿るところを見ると、多くの人が何かの対象に、真摯な気持ちで信心する事によって、神格化すると理解した。






神社に行くと、皆が清々とした気持ちでお参りするので、良い気が集まっていて、良い気を乗せた風に包まれると、邪気が払われるような感覚がある。





何も分からないまま、縋るような気持ちで、伊勢神宮や明治神宮や、近所の神社参りを始めた頃、まだまだ畏怖の気持ちがあり、怖かった事を覚えている。






 

ギャンブルはやめていたが、まだまだ欲が強く、邪淫であり、人の悪口を吐いては下品に笑い飛ばし、酒ばかり飲んでいて、そうした事が神さまに見透かされているようで、怖さを感じながら、お参りを続けて来た。





お参りを続けるうちに、色んな場所にある気が、それぞれ違う感覚が、なんとなく分かるようになった。




例えば、石垣島に旅行した際、道の端に有る井戸に、負の気を感じた。





パチンコ屋なんて負の気が渦巻いていて、近付いてはいけないと思うようになった。





同様に、人にも様々な気が宿っていて、負の気が溢れているような人は、なるべく避けるようになった。





まだまだ課題を抱えながら、神社参りを続け、気分が上がらない日にも、朝晩、お札に向かい、





「どうか今日一日を、清々とした気持ちで過ごさせて頂けますよう、お導きください。」





と、マインドセットを続けて来た。





その頃から、長い時間をかけて様々な気付きに恵まれ、ようやく、清々とした気持ちで過ごせるようになった。





神社参りを始めた最初の頃は、神さまは神秘的で、よく分からないが、崇高な存在であり、ただただ、畏怖を感じながらお参りをしていた。





いつからか、自身の荒んだ生き方によって、畏怖を感じる事が分かるようになり、日々、マインドセットを続けて、生き方を改めて来た。





口憚らずに言えば、お札=神さまに向かって、マインドセットを続けながら、それはいつしか、自分の中に良い気となって浸透していたような気がする。





「神様は自分の中にいます。」





と聞いた事があるが、自分を信じられるようになると、自分にも神が宿ると言う事を理解するようになった。





会社の若手には、そうした事を言う気にはならないが、





「いつか自然に、神社参りを始めたくなる時が来るよ。ただ、一つ言えるとしたら、神さまを信心すると、自分を信じられるようになるよ。」





と、先の本を貸してあげた。





今年は、伊勢神宮に行き、これまでの事を報告して、感謝をお伝えしに行こうと思う。





ヒャッホー!!と走り出したい気持ちを抑え 笑、まだまだ清々とした日々を積み重ねていこう♪