No Borders

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格好良くなりたい。

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いよいよ深刻に、「ながら~」が出来なくなった。

昔から「ながら~」は作業になってしまい頭を使うことはできなかったが、最近頭を使いたいタイミングが増えたことで、歌詞のある音楽、ラジオなどを聞くことが前より重くなってしまった。
歌詞や話題に頭が持ってかれてなにも考えられなくなってしまうことが原因だが、克服のしようがない。


困った
変わらない日々を求めて、同じような毎日を嫌がる。
他人や事象に依らない生き方から生ずるのだろうと思う。

自らの行動とは遠いところの縁で何事かが起こり、起こらなくなり、それがよいことだろうが悪いことだろうが、それに揺らぐことなく自らのやるべきことを進められること。

やはり人生には浮き沈みがあるし、それは四季や天災など自然に依る日本という国と、変わらないと思う。

どんな状況においても、変わらない自分でいられるかどうか、ただそれだけのことが、一喜一憂しやすい自分の人生の命題だと感じている。
昔したことを夢で思い出して凄く謝りたい気持ちだけど、奪ったものは返してあげられないし、そういう意味で全ての「思い」なんて形になって狙った相手に届かないと何の意味もない。
懺悔も祈りも希望も努力も何もかも、現実に変えられなければ何の意味もない。

自分が傷つかないために人を傷つける、自分がそもそもそういう人間であるということを強く戒めないことには、自分自身何も変わることはできない。
大谷翔平の165キロを見てなんとなく考え始めた。

僕が野球を見始めた1999年以降、記憶に残っている感動したピッチャー。

斎藤雅樹、桑田真澄、上原浩治、渡辺俊介、ダルビッシュ有、田中将大。

圧倒的な個性と、圧倒的なコントロールを持つピッチャーが好きなわけだけれども、斎藤雅樹と桑田は見始めたくらいで引退やらキャリア後半やらであまり見れず、そうなるとこの中でもやはりストレートのキレといったら上原だし、緩急と出し入れなら俊介だし、気迫ならまーくんだと思う。

そういう意味で、ダルビッシュは格好良いし完璧なんだけど、どこか主役じゃないというか、僕のなかでは圧倒的な存在ではない。

大谷のボールはそのダルビッシュよりも更に圧倒的じゃない気がしていて、そういう意味でダルビッシュや大谷は球のスピードもツールとして、器用さで戦うタイプだと感じている。