4月29日~5月3日までの滞在で心から気に入った伊予松山への移住計画。
当初の計画では1年半ほど時間をかけて準備するつもりだったが、ダメ元で応募してみた松山市内の企業の書類選考に合格し面接を受けるため急遽松山へ。
早朝にきて泊まることなく深夜に帰る弾丸スケジュールのためものすごく疲れた。
まず5月27日は半休で昼に上がり、16時50分発の高速バスで別府へ。
別府へは20時に着いたが問題なのは八幡浜行きのフェリー最終便の時刻が23時50分なこと。
朝の八幡浜港
黒猫が二匹もいてえらく縁起がいいな
八幡浜~別府間のフェリーは最終便だと着いたのちも船内で5時30分まで休憩できるので毛布を借りて眠り、松山駅に特急でもって到着したのは朝7時。
また来たぜ松山
それから応募先の企業から指定された保健協会で健康診断を受け、それが済んだのが10時ごろ。
面接の時間の13時30分まで相当ヒマがあるので松山市駅地下のまつちかタウンでうどんを食い、前回行けなかった子規堂へ。
ちなみにこの時の私の服装は面接を受けるということで三つ揃えの濃紺の背広であり暑苦しいったらありゃしない。
…「こっちィお出で」
と、子規は玄関から左向きにふすまをあけ真之を招じ入れた。
「これがあしの書斎じゃ」
と子規がいったから、真之はおどろいた。中学三年の少年が書斎をもっているとは、真之のような子沢山のお徒士の家にそだった者にはちょっと解しがたい。
この書斎三畳は、母親のお八重が建て増ししたものである。本屋の屋根からそのまま葺きおろした軒のひくい建物で、壁なども一度ぬりの赤土色であり、いかにも粗末なものであったが、真之には御殿のようにみえた。この書斎はのちに子規堂として保存された。
壁の上には、
「香雲」
という字額がかかっている。子規の外祖父の友人である武智五友の筆である。
机が一つ。
それに本箱が二つ。
やがてお八重が菓子盆と茶をもって入ってきて、
「のぼがいつもお世話になります。ようおいでなさったなもし」
と、声をかけてくれた。菓子はいりまめであった。
…「坂の上の雲」一巻より。

ちなみに拝観料は50円と破格
正岡家の菩提寺である正宗寺の境内にあるのがこの子規堂。
火災と空襲で二度焼失し現在の建物は三代目だが遺墨や遺品が展示してあり子規の息吹を感じることができる。
余談だがこの時軒先にセミのぬけがらがぶら下がっており
「うつせみや 主亡きあと 夏迎え」という句を詠んでみた。
「みつ」って何だと思ったら「三津浜」だね
そして前の広場には「坊っちゃん列車」の客車も置いてある。
夏目漱石が松山中学の教師として赴任する際に乗った軽便鉄道というのがコレである。
子規堂見学の後もまだ時間があったので伊予鉄高島屋でヒマつぶししていたのだが…眠い。
フェリーで5時間しか眠っていなかったので疲労と睡魔がすごい。
途中の道
その疲労と睡魔に耐えて選考試験と面接を受けて会社を辞去したのが17時頃。
長崎の路面電車によく似ている伊予鉄の旧型車両
そこから直ちに道後温泉へ向かって夕食を取り、途中大街道で降りて松山三越でブラブラしたりしながら22時松山発の特急宇和海で八幡浜へトンボ返り。
西堀端から夜の松山
また来るぜJR松山駅
その後もフェリー・高速バスでの強行軍が続いたが、苦労した甲斐があったか採用試験には合格。
そしてここから愛する松山市への移住計画が本格的に進行するのだ。













