革命という言葉はロマンを込めて使われることがある。働く人々や抑圧されている人々が政治権力を握り、富裕層や特権階層や大企業を優遇する政治をやめ、真面目に働く大多数の人々を優先する社会に変えるとか、強権で人々を抑圧する独裁などの支配体制を打倒し、自由で民主的な体制に変えるなどと、政治体制や社会体制を強制的に変化させることを夢見る。

 

 見果てぬ夢が革命であるというのが現実かもしれない。見果てぬ夢だから革命は魅力的なのかな。世界では各国で格差が拡大する一方、富裕層や特権階層や大企業を優遇する政治が続き、強権で人々を抑圧する独裁などの権威主義体制の国は体制を脅かされることもなく、人々の抑圧を続けている。革命の必要性が増大していると見えるが、人々は分断されて統治されたり、強権で黙らされたりしている。

 

 様々な革命が世界各地で起きていた歴史がある。20世紀にはロシアやメキシコ、トルコ、ドイツ、中国、キューバ、イランなど各国で革命が起き、ほかにもクーデターなどが各地で頻発し、強制的な政権交代が実現した。だが、そうした革命によって、真面目に働く人々が尊重され、人々が安寧に暮らすユートピアのような社会の実現に近づいたかというと、疑わしい。

 

 労働者階級の独裁を目指した革命が共産党独裁となり、さらには共産党に君臨する個人の独裁へと変貌したり、困窮する人々が立ち上がって政権を打倒したのに既得権益層の中から後継政権ができて、少し変化があったものの既存の政治・社会体制がほぼ維持されたりと、革命により政権を打倒した後に革命の「精神」を裏切る政権が誕生することはよくある。

 

 イランでは1979年、イスラム教のシーア派の信仰を重視すべきという人々が、西欧化と対米従属を進める腐敗したパーレビ王朝を打倒し、宗教指導者のホメイニ氏をトップとする革命政権を樹立した。パーレビ王朝の政治では人々の生活は向上せず、より良い生活を求めてパーレビ王朝の打倒に加わった人々も多いのだが、ホメイニ体制ではイスラム原理主義が日常生活に持ち込まれ、人々は新たな抑圧体制の中で暮らすことになった。

 

 こんな毎日は嫌だと人々が立ち上がり、政権を打倒した革命の成果が、新たに権力を握った連中に乗っ取られ、革命政府を守ることを口実に、人々の批判を抑圧する体制に転じる例は歴史に珍しくない。成功した革命が簒奪されるのは、政権交代における正当性が揺らいでいるからだ。民意の反映が革命なのだが、民意の解釈を革命政府が独占することで革命政府の支配が正当化される。

 

 共産革命でもイスラム革命でも、成立した革命政府は強権化し、人々を抑圧する体制に落ち着いた。社会における善悪や正邪の判断を革命政府が独占し、それを人々に強制して、従わない人々を罰する日常に人々は不満を持ち、抗議するが、革命政府に対する批判は反革命だとして弾圧される。しかし、人々は諦めない。自分が住む国を、もっと良くするために立ち上がる人々がいる限り、世界で革命は起きるだろう(革命が後継権力に簒奪されることも続くだろう)。