YouTubeチャンネルでジャーナリストの青木理さんが、対談相手の津田大介さんから「人々はなぜ自民党に入れ続けるのか?」という講演を予定していることを告げられると、「ひとことで終わりそうだよ。劣等民族だから」と述べたと報じられた。リベラル派の論客だという青木さんの発言に批判が高まったが、青木さんは取材に応じず、発言の真意はぼやけている。

 

 劣等は「等級・程度などが水準より劣っている」「ふつうのものより劣っている。質が悪い」「下等」などの意味で、劣等民族は「他民族よりも劣っている民族」の意味になる。青木さんが属している日本人(日本民族)を青木さんが劣等民族と言うのは、相当に自己肯定感が低い人物だから卑下しているのかと即断しそうになるが、青木さんは自分は別だと位置付けているらしい。

 

 青木さんの発言は、自民党に投票する人々に対して劣等民族だと主張している。とすると、日本民族のうち自民党に投票する人々が劣等民族で、野党などに投票したり棄権する人々は劣等民族ではないことになる。このような民族の定義は、全く新しく斬新なものであるが、民族学的には一考にも値しないだろう。

 

 同一民族であっても人々の政治的主張は様々で、民族内で時には鋭く対立することがあるのは世界の各国の歴史が示している。だが、同一民族の内部で対立する相手側を劣等民族と批判することは、自分も劣等民族の一員だということを失念している。ある民族が劣等民族だと主張できるのは、別の民族に属しているか、すべての民族に属さない人々だけだ。日本人の青木さんの主張が成り立つには、青木さんが自分を日本民族には属さないとするしかない。

 

 ところで、不祥事が相次ぐ一方、既得権益を守りつつ新たな利益誘導や米国追従外交などを長く続ける自民党の政治は閉塞感をもたらし、政権交代を望む人々も少なくないだろう。しかし、国政選挙では多数の人々が自民党に投票し、政権を委ねている。自民党に投票する人々は、劣等な人々で、政治意識が低く、判断能力が劣った人々なのだろうか。

 

 政治は細かな現実問題に対処することの繰り返しだが、自民党は日本社会の膨大な現実問題に対処してきた(対処の方向性や成果の評価は分かれよう)。日本では野党に投票しても、野党には現実問題に対処する力はない。少しでも社会を良くするためには現実的に考えると、自民党を動かすことが野党の「成長」を待つよりも有効だろう。

 

 自民党はダーティーでタフな政党だが、制度を変えたり、政策の優先順位を変えたり、予算配分を変えたりして実際に社会を少しずつ変えてきた(成果の評価は分かれよう)。現状の何かを変えて欲しいと思う主権者が、野党ではなく自民党に投票したり、自民党に近づく行動は、ある種の合理的な判断でもあろう。野党に現実問題に対処する力があったなら、野党に投票して政権交代を実現することが、現実を変える有効な手段になるのだが。