野党議員が反戦平和を唱えていれば一定の支持が集まるという時代は、とっくに終わっていたことが今回の総選挙で可視化された。反戦平和しか決め台詞がないという政治家や政党が見放されたともいえる。反戦も平和も崇高な要求・理念であり、反戦平和を主張することは正しい行為だろう。だが、ことあるたびに「狼が来るぞ」と警鐘を鳴らすことは、警鐘の価値を低下させる。
中国が南シナ海や東シナ海での海軍力を強化し、日本の太平洋側にも海軍を展開できる能力を備えるようになり、北朝鮮は日本各地を標的にする各種ミサイルを配備している現実に、反戦平和を唱えるだけでは日本の平和は守ることができない。日本国内で反戦平和をいくら唱えても、日本周辺の軍事的緊張を緩和することはできず、反戦平和を唱えることは中国や北朝鮮の軍事的脅威を無視することで支えられる。
反戦も平和も第二次大戦の日本の敗北に基づいている発想だ。日本軍が最後にはボロ負けして武装解除され、日本国は無条件降伏して独立を失い、米国などに占領統治され、人々は生き延びることに懸命だった。そうした時代に人々は「戦争はもう嫌だ」「戦争は懲り懲りだ」と思い、反戦平和は戦後の「新しい日本」の通奏低音となり、革新陣営はもちろん保守陣営にとっても否定することができない主張となった。
だが、日本の戦争を体験した人々は少なくなり、世界では地域戦争は絶え間なく起きていたが、そうした戦争の体験がマスメディアで伝えられても日本の人々にとっては他人事の気配で、戦争の悲惨や銃後の生活の苦しさなどの実感は伝えることが難しくなり、それにつれて反戦平和の主張も実感を伴わず、理念としての反戦平和へと移行した。
理念としての反戦平和は、全ての戦争に反対する考えだとみなされるが、日本で主張された反戦とは「負け戦は2度とゴメンだ」だ。それは実感を持って語り継がれたが、世代は入れ替わり、全ての戦争に反対することが反戦だと変化し、負け戦は悲惨で惨めだという記憶や体験は、理念としての反戦にまぎれた。日本人の歴史的体験から生まれた反戦平和の主張が変質するとともに、負け戦の悲惨さや惨めさや屈辱などの記憶は希薄になった。
日本は日清戦争、日露戦争、第一次大戦で戦勝を続け、それを日本人は喜び、提灯行列などで祝うこともあった。反戦平和を求める声は当時小さく、国威発揚の手段として戦争は容認されたが、第二次大戦で日本はボロ負けし、「負け戦は2度とゴメンだ」と反戦平和を求める声が強くなった。やがて日本は経済発展し、理念としての平和は生活保守主義によって共感を持って受け継がれているが、負け戦の記憶・体験に基づく反戦が全ての戦争に対する反戦と置き換えられ、理念として祭り上げられていく。
マスメディアには好戦的になって大衆を煽り、負け戦になって大失敗した過去があり、日本で惨禍を繰り返さないために反戦平和を主張し続けることは義務だろう。そのために反戦平和を唱える政治家には利用価値があり、そうした政治家を支えてきた。だが、理念ではなく実利をアピールする時代になって、反戦平和という訴えは軽視され、反戦平和を呪文のように言い立てていた政治家は表舞台から徐々に退場していく。今回の総選挙は新たな国威発揚を求める機運が高まりつつあることも示した。