多くのインドシナ難民が発生した1975年、日本にもボート・ピープルとして続々と到着した。75年に9隻126人、76年に11隻247人、77年には25隻833人へと急増し、79年から82年の4年間は毎年1000人台を記録した(外務省HP)。日本政府は当初、一時的な滞在のみを認めていたが、78年にベトナム難民の定住を認めることにし、定住許可の条件を順次緩和した。2005年までのインドシナ難民定住受入れ数は11319人。

 

 ボート・ピープルの日本への到着は当時、マスメディアで大きく報じられ、社会的な関心が高まった。到着した難民をベトナムなどへ送還することは現実的ではなく、他国に移送することもできず、日本政府は難民の定住を認めざるを得なかった。ちなみにインドシナ難民を最も多く受け入れたのは米国で約82万人、オーストラリアとカナダが約14万人、フランスが約10万人、ドイツと英国が約2万人。

 

 ドイツ東部テューリンゲン州の州議会選挙で、移民排斥を掲げる極右政党「AfD」が州議会レベルで初の第1党となり、州議会で極右政党が勝利したのも第2次大戦後で初めてとあって、ドイツで極右の勢力が拡大していると警戒感が高まり、シュルツ首相は「全ての民主的政党は今、右翼過激派を排除した安定した政権を樹立することを求められている」と述べたと報じられた。

 

 この州議会選では、反移民を掲げる極左政党も躍進した。AfDと極左政党は、反移民・反EU・反体制・親ロシア・ウクライナ支援に消極的ーなど政策面では共通点があるという。欧州では極右は反移民や反イスラムや反ユダヤなど特定の人々に対する排他性を持つ人々で、極左は反資本主義や反グローバリズムなどを主張する人々だ。反移民は既存体制の批判に有効なのだろう。

 

 欧州には中東やアフリカなどから大量の移民・難民が現在も殺到しており、ドイツにも移民・難民が押し寄せている。2015年にはドイツに100万人以上の移民・難民が殺到し、ロシアが侵攻したウクライナからは100万人以上を受け入れている。大量の移民・難民を受け入れた国では、人々の日常生活の場に移民・難民が現れて住みつき、言葉が通じなかったり、異なる文化・習慣が持ち込まれたりし、共生を強いられたとの感情を持つ人々もいるだろう。

 

 ドイツの州議会におけるAfDの勝利を日本のマスメディアは、極右が勢力を拡大していると報じた。だが、日本に中国大陸や朝鮮半島やアジアなどから毎年、数十万単位の移民・難民が押し寄せる状況になったら、送り返すことはできまいから日本政府は滞在を認めざるを得ず、日本社会にも大量の移民・難民が現れて住みつく。現在も日本在住の外国人に対するバッシングは存在するが、数十万単位の移民・難民が毎年増える状況になったなら、反移民感情が高まるだろう。

 

 そうした状況になったなら反移民を掲げる政党も日本に現れるだろう。大量の移民・難民受け入れ問題は日本ではまだ現実感を持って論じられてはいないが、中国大陸や朝鮮半島やアジアなど日本周辺で政権崩壊などが起きれば、大量の移民・難民が発生する可能性はある。現在の欧州諸国や米国などのように、大量の殺到する移民・難民に対する対応が日本政治の重要課題になる日が来るかもしれない。