「東京で雨が降っている」という情報を見た時に、東京都の全体で雨が降っていると思う人もいるだろう。だが、23区で雨が降っていても八王子や立川など西部では雨が降っていなかったり、23区内でも、雨が降っていたり降っていなかったりとバラツキがあるのは珍しくない。雨雲の面積が東京都を覆うほど広ければ全域が雨になり、雨雲の面積が小さければ雨が降る地域は限られる。

 

 ジグソーパズルは多数のピースで構成されているが、ピースは部分であり、すべてのピースが組み合わさって初めて全体の絵柄がわかる。一つのピースの色や模様がジグソーパズル全体を表していると思う人はいないだろう。ジグソーパズルなら部分と全体の混同は起きないだろうが、断片的な情報が全体を示すと混同して受け止めることは珍しくない。

 

 そうした混同は受け手の即断などによるものも多いだろうが、部分と全体の混同を狙って生じさせる情報がある。特定の全体像に誘導するために都合のいい情報ばかりを並べる一方、都合の悪い情報には触れずに済ませるか否定的に扱う。うっかり無批判にそうした情報を受容し続けると特定の全体像に誘導されよう。

 

 部分と全体の混同は、事実認識を阻害する。事実の1部分だけが切り取られて、提供される情報が全体を表す情報であるかのように流通し、それを検証せずに無批判に受け入れたりすると、簡単に情報操作のカモになる。ある情報が、それは部分を表すのか、全体を表すのかの見分けがつかなければ、情報操作に抗うことは難しいだろう。

 

 新聞やテレビなどでは部分についての情報が溢れるが、全体についての情報はそう多くはない。全体についての情報は記者のコラムや寄稿などで示唆されることがあるが、必ず全体について示しているとは限らない。一方、SNSなどでは部分についての情報も全体についての情報も流れるが、客観性については担保されないことが多い。

 

 何が部分についての情報で、何が全体についての情報かの見分けがつかなければ、港区から中央区にかけて降っているだけの雨を東京全体で降っていると思い込んだりする。正しいとされる情報が示すものは部分か全体か、それを判別することが、簡単に情報操作されないためには欠かせないポイントだ。

 

 部分の集合が全体になるが、部分が全体を表すとは限らない。SNSやテレビ、新聞などで溢れる情報は部分についての情報が多いようだが、それを全体についての情報だと受け止めると現状認識や世界認識などが歪むこともあり得る。日々接する情報はジグソーパズルの1ピースだと常に意識することが欠かせない。