真夏に40度近い気温の日が続くと、「暑すぎる」「異常気象だ」「温暖化のせいだ」などの声が多くマスメディアで伝えられる。もう勘弁してくれとの気分を滲ませながら、猛暑や酷暑に対する恨みをぶつける。だが気象相手では何を言っても無駄だ。そこで温暖化論を持ち出して、猛暑や酷暑を理解しつつ、恨みがましい言葉を半ば諦め気分を漂わせながら言う。

 

 一方、真冬に気温の高い日が続いても、季節外れの暖かさを楽しんでいる人々の様子は報じられるが、「異常気象だ」「温暖化のせいだ」などの声が報じられることは少ない。気温が高いといっても真冬なので、外出時にはジャケットなどを脱いで対応できる。平年の平均気温より10度以上も高くなっても、冬にも季節外れの暖かい日もあるさと済まされる。

 

 真夏の気温上昇はシャツ1枚になっても体にこたえるので我慢できないが、真冬の気温上昇なら1枚、2枚脱げば対応できるので、異常気象だと深刻ぶる必要はないか。耐えられない気温上昇は夏場であり、耐えることができる気温上昇は冬場であるとすると、異常気象や温暖化の影響を実感させ、環境問題に意識が向くのが夏場の気温上昇となる。

 

 人は寒さには着るものを増やすことで対応できるが、裸になっても耐え難い暑さには抵抗できない。徒然草に「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住居は堪へ難きことなり」とあるように人々は暑さ対策に悩んできた。クーラーが普及して真夏にも快適な暮らし方ができるようになったが、クーラーの排熱が気温をさらに上昇させる。

 

 気温上昇と環境意識の高まりが比例するとすれば、季節を問わず気温上昇に敏感になるはずだが、真冬の季節外れの暑い日には「今日は暑いね。冬じゃないみたい」などと言って済まされる。温暖化が実感されるのが真夏の猛暑や酷暑だとすれば、体感で温暖化を納得しているのだろう。加えて、集中豪雨や諸外国で発生する山火事などのニュースも夏秋に増えるので温暖化論を意識させる。

 

 真夏の猛暑や酷暑が温暖化によるものか、たまにある現象なのかははっきりしない。だが真夏の猛暑や酷暑は現実なので、それを納得する理由を欲しがる人々は気候変動による温暖化という説明を受け入れ、「異常気象だ」と半ば諦め気分を漂わせながら納得する。それは現実を受け入れているだけだ。

 

 日本各地で桜の開花が早まっていることも冬場の気温上昇と関係あるだろうが、桜の開花が早まることを「異常だ」「温暖化のせいだ」と嘆く声は少なく、春の到来が早いことを歓迎する声が圧倒的だ。真冬の季節外れの暖かさも桜の開花が早まるのも危機とは意識されず、夏の猛暑や酷暑などの体感で人々は温暖化を実感する。