時間には実体がない。物質でもなくエネルギーでもなく、どこに存在するのか誰にも分からない。だが、時間が存在すると誰もが確信しているようで、生活や社会活動など人間が関係する行動に時間は密接に関わり、時には、決められた時間に合わせて行動を強いられるなど、時間は人間の行動や活動を支配しているかのようにも見える。
時間は測ることによって現れる(=意識される)。時間を測るためには何かの動き(運動)を必要とする。おそらく太古に人間は、日の出から日没までの太陽の動きを1区切りとして1日とした時間の感覚を持ったのだろう。それは太陽の動きによって時間を測ることである。日時計から水時計、さらに重りやゼンマイや振り子を動力とする時計が誕生し、現在ではクオーツ時計や太陽電池発電式時計などが一般化したが、何らかの動き(運動)によって測っていることは共通する。
静止状態では時間を意識することは難しかったりするが、何かの動き(運動)があると時間の経過が意識され、時間の存在が現れる。真っ暗な部屋に閉じ込められて身動きできない人でも、空腹を感じたり眠ったり尿意を催したりと生命活動という体内の動き(運動)によって時間の経過を意識するだろう。体内時計は生命活動によって支えられる。
時間と速度の積が距離となるので空間の存在が現れる。距離を時間で割ると速度が現れ、距離を速度で割ると時間が現れる。空間と時間は密接に関係していて、空間に現れる何らかの動き(運動)を用いて測ることによって時間は可視化される。時間と動き(運動)は空間を構成する要素であり、空間を測定するための道具でもある。
長さや重さも実体がなく、人間が測ることによって現れる(=意識される)。長さや重さも、それに相当する何かが存在すると見なされるが、人間が測るまで長さも重さも現れない。時間も長さも重さも人間が単位を決め、人間が測ることによって存在が確認されるのであり、それらが人間の思考により生み出されたものであることを示す。
触れることも捕まえることも見ることもできない時間という何かを人間が意識したのは、この世界は動き(運動)に満ちているからだ。太陽や月や風や波や雨など自然現象だけではなく人生や社会の変化なども動き(運動)と見ると、この世界は常に動いて変化し続けていることになる。変化し続けることで世界は基本的な秩序を保っているとの発想もできそうだが、そうなると時間とその秩序形成の関係が気になってくる。
※時間を辞書は「①時の流れのある点から別の点までの時の長さ、②時の流れのある一点。時刻、③時間の単位。3600秒、④学校などで授業の単位として設けた一定の長さの時。時限、⑤[哲学]空間とともに世界を成立させる基本形式。出来事や意識の継起する流れとして意識され、過去・現在・未来の不可逆な方向を持つ、⑥[物理学]自然現象の経過を記述するための変数」などと解説する(大辞林)。