英語などの外国語をカタカナ表記した言葉の氾濫に対する批判は以前から多かった。だが、カタカナ表記の言葉は増える一方で、コンピューターが普及し、インターネットにより情報の国境の壁がほとんどなくなったこともあってか外国語のカタカナ表記の増殖は止まらない。英語に堪能な日本人が増えたのなら慶賀の至りだが、英語に堪能になったのならカタカナ表記よりもアルファベット表記のほうが理解しやすいだろう。

 

 最近では行政が打ち出す施策にもカタカナ表記が増え、中には長ったらしいカタカナ表記が混じることも珍しくない。環境保全やら持続的発展やら欧米由来の政策に追随することに励んでいて、日本人に理解しやすい言葉に翻訳する努力を放棄し、カタカナ表記にして済ませている景色だ。自国語を尊重しない日本の行政。

 

 外国語のカタカナ表記を見て誰もが、その意味することを即座に理解しているとはいえまい。外国語のカタカナ表記の欠点は、意思伝達手段である言葉の機能を失わせることだ。例えば、「ソーシャル・ディスタンス」という言葉が日本で広く使われているが、英語では偏見などによる心理的距離を意味する一方、「ソーシャル・ディスタンシング」は、人と人の物理的な距離をとることを意味する。

 

 日本では感染予防のため「ソーシャル・ディスタンス」が使われ、「ソーシャル・ディスタンシング」は使われない。カタカナ表記にすることで本来の意味から離れ、日本独自の意味を持たされる。日本人の多くが「ソーシャル・ディスタンシング」のつもりで「ソーシャル・ディスタンス」の言葉を使うが、外国に行ってうっかり「ソーシャル・ディスタンス」を使うと、時と場合によっては誤解を招きかねない。

 

 すでに定着した外国語のカタカナ表記の言葉も多く、辞書に載っている言葉も多い。だが増殖するカタカナ表記の言葉の多くはまだ社会的に共有されているとは限らず、その意味するものを誰もが理解しているとは言えないようだ。それは、カタカナ表記の言葉が伝達手段としては不完全であり、意思疎通を阻害することもあることを示す。

 

 外国語のカタカナ表記が増殖する一因は、日本人の翻訳能力(=造語能力)が衰えたためだろう。外国語を日本語に翻訳するためには日本語能力が豊かでなければならないが、すでに漢文や日本の古典を読む人が少なくなり、漫画やアニメが大勢力となった環境で育った人々に高い日本語能力を期待するのは無理なのかもしれない。

 

 外国語のカタカナ表記が増殖する背景には、欧米発の概念を尊ぶ日本人の欧米コンプレックスと欧米発の概念で自己を飾ろうとする個人の欲がある。他人と意思疎通し、他人を説得しようとするなら、意味を共有できる言葉を使わなければならないが、理解されにくいカタカナ表記の言葉を多用する人は、相手に理解ではなく自分への従属を求めているのかもしれない。