本来、今日、7月20日は海の日である。
そのことを覚えている人がどれだけいるだろうか?
そもそも海の日というのは「海の恩恵に感謝し、海洋国家日本の繁栄を祝う」ために国民の祝日とされたのであるが、その経緯等については広く知られていない。
そこでその由緒を説明すると明治期にまで遡る。
江戸時代は、幕府の政策で外国貿易が一般人には禁じられていたため、多くの国民が船と聞かれて頭に思い浮かべるのは木造の小舟であった。
幕末の安政時代から、洋式の大型鉄船が輸入されるようになったが、その大半が軍艦として使われていたため、一般の庶民とは無縁のものであった。
そのような時代背景の明治8年にイギリス製の新型汽船(総トン数1028トン、長さ73m、補助帆付き)が輸入され「明治丸」と名付けられた。
「明治丸」は、そのころ次々と設置される灯台の保守点検等を行うために、作業員を乗せて各灯台をまわるという役目を与えられ、灯台見回り船として使用されていた。
当時の船としては、高性能であったためか、明治9年(1876年)に、当時23歳の明治天皇が東北地方に巡幸される際、青森から函館に渡る手段としてご使用になられ、その後も函館から横浜まで海路で還幸された。
その函館から横浜までの航海は大時化で、殆どの人間が船酔いをしたのに明治天皇は泰然としておられたという逸話がある。
この話が、多くの国民に広まり、それまで「船」=「危険」という認識でいた一般の国民が船の安全性を信頼するようになり、以降の海運や船旅の発展に寄与したとされ、また、この巡幸で明治天皇は戊辰戦争当時の反新政府軍の人たちやアイヌの人たちにお会いになられ、その人たちも心を一にして新生日本の建設に尽力するきっかけになったとされる。
そこで「明治丸」が横浜に帰港した7月20日が、昭和16年に「海の記念日」として制定された。
従来「海の記念日」というのは祝日ではなく、一般の人には無関係であったと言ってもよく、運輸省(現国土交通省)や海運関係者などにより海に関する行事が行われていただけであった。(組織として休日としているところもあった。)
予てから関係者の間で、「海の記念日」を休日にしようという運動が行われていたところ、平成7年阪神淡路大震災により空路、陸路による物流が麻痺した中で海路による輸送が大きな力を発揮し、海運の重要性が見直されるようになったのをきっかけに、関係者の念願がかない「海の記念日」が「海の日」として祝日に加えられた。
ところが平成15年、景気低迷の打開を図るためにアメリカの月曜日祝日法を真似たのか、三連休を増やすために「海の日」が7月の第3月曜日に移動されたのである。
元来、祝日というのは祝日法により「国民挙って祝い、感謝し、又は記念する日」とあるのに、感謝したり記念する日が毎年変われば、何に感謝したり何を記念したりするのかが、よく分からなくなってしまわないだろうか。
戦後GHQにより「紀元節」→「建国記念日」「明治節」→「文化の日」、「新嘗祭」→「勤労感謝の日」のように祝日の名称を変更され、レジャーのために祝日の日付けまで移動し、元から祝日の意味を考えるような教育が少なかったためか、もはや、「祭日」「祝日」「休日」の違いを語れる人間も少なくなった。
いくら海洋基本法に「国及び地方公共団体は海の日に、国民の間に広く海洋についての理解と関心を深めるような行事が実施されるよう努めなければならない。」と定めていても、祝日、本来の意味を失ってはいけないのではないだろうか。
ちなみに、海の日を国民の祝日としているのは、世界の中で日本だけである。