キリストにある自由 | キリストと共に

キリストと共に

あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。

ゼパニヤ書 3章17節

キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ガラテヤ5:1

あせりとは何でしょうか。これは、どのような状態でしょうか。少なくても主から来るものではありません。自由が恐れから締め出された平安な状態であるなら、あせりはなくなるのではないでしょうか。そんな中、多くの人はあせります。私もあせってしまうことがあります。この世の状態、空気がそうさせてしまうのかもしれません。あせりを作ってしまうもの、急かされてしまう、人の目が気になる、間違ってしまった、などがあると思いますが、この心の状態になってしまうのは、恐れが発端にあるのでしょう。あせりの状態に追い込まれるとは、やはり、主を心の真ん中に置いていないし、より頼んでいないことになると思います。あせりが及ぼす結果は悲しいものがあると思います。
今日、多くの人が急いていると感じます。何でそんなに急ぐのか。あれをやらなくちゃ、これをやらなくちゃ、そんなに急ぐ必要があるか。キリストにある自由にとどまり、福音に生きる、このことのみが必要であり、この福音を宣言することが大切です。しかし、この闇の力は、私たちを巻き込み、心にあせりを生じさせてきます。しかし、私たちは岩なるイエスにより頼むのです。キリストにある自由、この内を歩んでいくのです。

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最近、私は「かなめ石」という賛美を口ずさんでいます。
主の義と血潮が希望の礎
世のものではなく 主の御名に頼る
主の御名に全き信頼を置きたいと思います。