昨年は、私の同級生の従兄弟が亡くなり、一級下の仲の良かった知人も亡くなり、61歳と60歳でとても悲しかったです。

 

あと88歳の知人男性も亡くなられ、男性で米寿以上で亡くなるのは「大往生」と言われてますので、とてもめでたい死であったと思いました。

 

私の祖母は96歳で亡くなり、葬儀屋が父親と面識があるようで、家に入って来るなり父親に「めでたい葬式にしましょう」と言いましたが、全くそのとうりなのです。

 

人間は、全員必ず死にますので、平均寿命以上で亡くなれば、赤飯を炊いてカラオケを用意して大宴会をして、紅白饅頭を配るべきなのです。

 

若くして亡くなる事は本人はもとより家族もとても辛く、元気で平均年齢まで生きれたら、足るを知るってことを知るべきだと私は思います。

 

特養で、無理な食事介助をされて生きてる利用者は「もう死にたい」と思っているのでしょうか?「まだまだ生きたいきたい」と思っているのでしょうか?

 

私が特養に在職中に利用者との会話ではほぼ全員の方が「もう逝かせてほしい」と思っておられ、介護施設では「長寿は美徳」という考え方は全く通用しないのです。

 

「死」に対して一番の怖がりは医者です、何故なら自宅で老衰で穏やかに亡くなる方を見たことがなく、病院で悲惨な死ばかり見ているからです。

 

要介護状態に対し一番の怖がりは介護職です、これに当てはまっているのは私で、私は平均寿命まで生きたいと思ってなく、健康寿命の要介護状態になる前の71歳ぐらいで逝けるのが理想だと思っています。 

 

介護される前の71歳で人生を終えるのと、71歳で要介護状態になり、食事、入浴、排泄を全介助され、寝たきりで、会話も出来なく平均寿命まで生かされるのと、選択できるならあなたはどっちを選択されるでしょうか?

 

施設であろうと、在宅であろうと平均寿命を生きられ「食事を食べたくない」と言われたらもう死に時ですので、食事介助せずに逝かせてあげて祝ってあげて下さい。