私は「先に逝く者は残された人間を煩わすべきではない」と思うので、献体の手続きをしてあります。

 

通夜、葬式、法事等の宗教的儀式はしないように、間違っても戒名なるものは付けないように言ってあります。

 

一番の供養は故人が喜ぶこと(故人に対し恥じない生き方)をするのが供養であり、通夜、葬式、法事、墓を建てる等は供養にならないのです。

 

今、僧侶を呼ばない葬式が主流になっており、墓を建てる人も殆どいませんし、それどころか「墓じまい」されお寺を離檀する人が激増しています。

 

お寺のやってた死者を利用した金儲けは、仏教でもないし宗教でもないと思ったので、私はお寺を離壇しました、お寺と縁が切れもうお金を払わなくていいのです。

 

近年、お寺の離檀離れに歯止めがきかず2040年までに寺社の3割は消滅すると言われています。

 

離壇とは檀家がお寺から離れていったのではなく、実際はお寺が「お釈迦様の教えを伝える」という本来の目的を見失い「檀家からいかにお金を巻き上げてやろうか」と金儲けに走り、お寺の方が檀家から離れていったのが真相なのです。

 

離檀とは、檀家がお寺から離れたのではなく、お寺が檀家から離れたことなのです。

 

自分の葬式用にとお金を持ったまま亡くなる高齢者が多い訳ですが、今は時代が違いますので、そのお金を自分の好きなことに使うべきなのです。

 

いろいろな終活がある中で、一番の終活は自分のやりたいことをすることなのです。