現代版姥捨て山であり、在宅介護に比べ寿命が約1/3になる施設です。
その主な理由は個別対応できない食事と、過剰介護にあり、自然死をさせてもらえずに、介護の拷問を受けないと死なせてもらえない施設でもあります。
終末期の利用者は食欲がなく食べませんが、看護師が介護職に完食させるように指示し、次から次に口の中に放り込まれ、当然吐くことになり、ひどい苦しみを与えられています。
無理をしないほうがいいのではないかと意見を述べると、看護師は目を剝きます、栄養やカロリーを気にしなければならない時期はとっくに過ぎているのが理解できてないのです。
利用者が食べれなく、喉がゴロゴロというと、自分の出番とばかりに看護師がチューブを利用者の喉の奥に突っ込んで吸引をし、死にゆく人間を二重に苦しめます。
利用者が亡くなれば、面会にも看取りにも来なかった家族は施設に礼を言います、すると看護師は「いい看取りでした」と言います。
どこがいい看取りなのかと質問すると、「家族にお礼を言ってもらったから」と言いますが、「いい看取り」とは誰にとっていい看取りであるべきか全く理解出来てないのです。
無理やり特養に入れられ亡くなる利用者も不幸なら、在宅介護したいけど妻の手前、泣く泣く施設に入れた息子も不幸で、自分につらく当たられ在宅介護できる状態ではなくなり、施設に入れざる得なかった嫁も不幸なのです。
このように、特養は利用者、家族誰もが不幸になり、誰一人勝者はいなく、全ての人間が敗者になる施設なのです。
本当は、こんな施設はない方がいいに決まっています。
昔特養に勤務しましたが、喜びも悲しみも、幸せも不幸も、愛も憎しみも、これ以上分析不可能な、人間であることの哀しみの底を見てしまう施設でした。
