光る海 (その3) | 光の世界からのギフト

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私たちは光の世界からやってきて
この世を旅して
光の世界へと還る


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(幼い日の7年間を過ごした家の前から見える太平洋の大海原です。)



4年前に97歳で亡くなった父は海が好きでした。天気が良ければ毎日海に出かけていました。父は島の小学校で教えていました。

当時は今と違い、教員の仕事も夕方五時で終わり、それからは釣竿を担いで、「晩のおかずを釣ってくる」と海に向かうのでした。

父は強風に煽られて、崖下に転落事故を起こしたことがあり、心配した母は子供達の誰か一人をお供に付けることにしました。

長女の私がよくそのお供をしました。あまり会話のない親子でしたが、青く広がる海を見てるだけで満足するところは同じでした。

そんな親子2人の時間はとても貴重な時間だったと思います。

水平線の見える広く青い海の向こうから続いてやってくる波が、岩に当たり真っ白なしぶきとなり、返っていくのを、ながめていると、気持ちが穏やかになり、大きなものに抱かれている感じになりました。

夕日が沈む時は海全体が黄金色に光輝き、寄せてくる波も、あたり全体の空気までも、輝くのです。そんな光り輝く世界を、私たち親子は感動しながら見ていました。


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(西湖近くの野鳥の森公園の樹氷です。)









父は無口で、人の悪口や愚痴は言わずに、声を荒げて怒ることもなく、穏やかな人でした。

でも、時々釣りをしながら、高学年になった私に語ってくれたのです。

「戦争は絶対にするべきではない」「神や佛は信じないが、この大自然を治めている偉大な存在があると思う」「この海は世界中につながっているのだよ。俺の会いたい従兄弟があの方角の南アメリカに住んでいる。いつか会いに行こうと思うよ。」と、水平線の彼方の南東の方角を指差しました。

「父さんの生まれた場所からはサザンクロスと言われる南十字星という星が見えるんだよ。綺麗な星だよ」と海から帰り道で、まだ明るい空に姿を現した金星を教えてくれながら、そんなことも言って、私は「あの輝く金星よりも美しい星はどんな星なのか。見てみたい」と思いました。

東京で教えていた時に、在日朝鮮の生徒などに差別しなかったらしく、生徒達には慕われていて、父の葬式では涙する生徒さんがいて、私も、もらい泣きをしてしまいました。

ペルーに住んでいる従兄弟には定年後に会いに行き、その後は、広い海を越えて、世界中をせっせと旅していました。

父はスピリチュアリズムを理解していたわけではなく、スピリチュアリストではありませんでした。

でも現世ではマイナスのカルマが少ない人生を送った人だと思います。


私はイギリスのミディアムにリーディングを受けた時に、「あなたの少女時代は沢山の愛に包まれて幸せだったようですね。」と言われました。

確かに自然の中で、のびのびと過ごし、両親は兄弟たちを平等に、愛情をかけてくれて、天気の良い日は海や山で遊び、天気が悪い時は家の中で、本を読んだり、オルガンを弾いたり、手回しの蓄音機で、童謡やクラシックの音楽を聴いたり、と自由に過ごしていられたのです。

私は、いまでもそんな両親を選んで生まれてきたことは正解だったと感謝しています。



最後に私が父に会いに行った時に、父の寝ているベットの側に、祖母や数人のご先祖様がチラッと見えていました。

そろそろ光の世界へ還る時期が来たのかしらと思いました。

父は私を見てにっこりと笑顔になり「やぁ、ようこちゃん来たかい。」と嬉しそうに娘の手を握りました。

アイイスの仕事で、兄弟の中で一番遅く父の見舞いに訪れた私を、待っていたようです。次の日に東京へ戻る前に、再び病室を訪れた私に、元気に、バイバイと子供ような笑顔で手を振ってくれたのです。

そして、その晩に、父は光の世界へと還って行きました。


その半年後にアイイスの英国ツアーに参加した私が、SNUで受けたリーディングの際に、父は少し若くなり、おしゃれをして、現れてくれました。

囲碁が好きだった父は、生前よく囲碁をしていた従兄弟と光の世界でも、囲碁を楽しんでいるようでした。

そして、私が瞑想中に父を呼ぶと、釣りをするときの緑のジャージ姿で現れます。

私は現世での悩みは特別にはないので、母や兄弟を見守り、導いてくださいとお願いしています。

また、いずれ、そちらに行く時には、お迎えをよろしくと、頼んでいます。




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(この冬はじめての河口湖畔の大石公園からの富士山です。)



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(夕闇の中の富士山はオーラが綺麗でした。)