癒しの光→ ヒーラーへの歩み(2) | 光の世界からのギフト

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私たちは光の世界からやってきて
この世を旅して
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初めて仲間と見習いヒーリングセンターを開いても、今のようにHPもなく、ただ精神世界の雑誌に小さな広告だけでしたから、ヒーリングセンターを訪れるのは、会員とその知人、友人、家族がほとんどでした。

その頃のヒーリングの感想文のノートがあるので、ヒーリングを受けた感想のいくつかを、ここに紹介します。

初めの頃は①気持が良かった。②眠くなった。③体が軽くなった。と、ほとんどがこのような簡単な感想です。しかし、6ヶ月後ぐらいから、①風邪で痛かった喉が楽になった。②腰の痛みがやわらいだ。③きれいな光が視えた。と少しづつ、ヒーリングのエネルギーがヒーラーを通して患者さんにしっかりと届きはじめたようです。2000年の秋に若い会員がドレスアップして、ヒールの音をたてて、ヒーリングセンターへ駆けこんできました。新宿のホテルで友人の結婚式があるそうで、彼女はスピーチをすることになっていたのです。

ところが風邪をひいて声が出なくなって困っていたそうです。控室で「そうだ!今日はヒーリングセンターがある」とタクシーで駆けつけたのです。

ヒーラーが2人がかりで20分ほどヒーリングをしたところ、彼女は喉の痛みが消えて声が出るようになり「ありがとうございます」と叫び、ドレスの裾を持ち上げて走って行きました。

金色の光や青い光が視えて癒されたとか、別の手が視えたという人も現れて、私たちもヒーリングガイドさんとの結びつきがだんだんと強くなっていくことを感じることが出来て、ヒーラーとして何が1番大切なのかも、学んでいきました。

2001年からインターネットでHPもできて、機関誌ライトワーカーズの発行とアイイスの活動もやっと軌道にのりはじめました。

地味ですが確実にアイイスの輪が広がり始めましたが、それまでには、多く人達の協力があったのです。

HPは会員にパソコンのインストラクターの方がいて、HPを立ち上げてくださったのです。

ライトワーカーズはフリーの編集者がいずれも安い料金で協力してくれました。

チラシの作成は大阪の会員さん。仙台の会員さんも宣伝部長とあだ名がついたほど熱心にイベントの開催に力をそそいでくださいました。東京の後に大阪・宇都宮・仙台・熊本と会場が増えていきました。

熱心な世話人さん達がいたからこその開催でした。


光の世界からのギフト-鳥海山の元滝
鳥海山の「元滝」