光の世界からのギフト

光の世界からのギフト

私たちは光の世界からやってきて
この世を旅して
光の世界へと還る

(湊の近くで出会った猫)

今年1月に兄妹の喜寿の祝いで上京しました。ついでに八坂神社と高尾山に行ってきました。高尾山は祭日でケーブルカーは混雑しているので、空いているリフトを使用しました。初めてのリフトは百段ぐらいの石段を登った上の方に乗り場がありました。

そして、いつもは行かない奥の院までいったらまた長い石段です。その日の歩数は16360歩といままでで最高の歩数でした。石段は登ったら同じ数の階段を降りなければいけないのです。次回から奥の院はやめようと思いました。

明治神宮も1万歩になりますが、石段はないので高尾山ほど足は疲れません。これからは、ほどほどの歩数で神社巡りをすることにします。

(亡き母は椿が好きでした。)

 

神の覚書のなかで、私が気になった箇所ですが、「自分自身への愛、他者への愛、そして私への愛」と述べられています。最後の私への愛⇒神への愛という事になります。

この私への愛という一人称が気になるのです。

アイイスでは、一人の神の存在ではなく多くの霊達の存在を信じています。霊界という世界の存在を信じているからです。そして、そこには先祖の霊や守護霊・指導霊や医療霊団やヒーリングガイド達が存在しています。

私達は瞑想することで、霊界通信が出来るようになり、瞑想中に先祖霊や指導霊などと出会い、その方達からメッセージを貰うことが出来るのです。

私の誘導瞑想のクラスでは都会の騒音や家族のいる家では静かな瞑想が出来ない人の多くが誘導瞑想クラスに参加しています。

誘導瞑想による瞑想では普段一人で瞑想するよりも深く入ることが出来て、霊界に戻っている先祖霊の方に会えたり、いつも近くにいる指導霊とは別の指導霊に会えたと喜んでいる生徒が多いのです。

神の覚書の中で私はあなたに考える力を与えました。などと、私が○○する力を与えました。と述べられている(その2)は少し違うように感じました。

それよりも、☆憎むことより愛することを選びなさい。という(その3)の方が私には納得がいくのでした。

 

(昨日も風が止んだので焚火です。)