光の世界からのギフト

光の世界からのギフト

私たちは光の世界からやってきて
この世を旅して
光の世界へと還る

(久しぶりに上野の絵画展に行きました。)

島はこのところ晴れが続き、庭や畑の草とりをがんばったら、腰を痛めてしまいました。

そこで、野口式活元をしてみたのですが、なかなか痛みが取れません。そんな時、野口整体を学んでいる妹が島にやってきました。3日ぐらいしか滞在しませんでしたが、妹と話して、その後、あらためて整体の本を読んで、活元運動をやってみました。すると痛みの原因は腰ではなく股関節あたりだとわかりました。そこで、毎日30分ほど活元運動を試みたところ、3日目に痛みがなくなったのです。改めて天才治療家で霊能者と呼ばれた野口晴哉氏に感謝です。

 

お坊さんのOさんは、その後私の娘と出会い娘がヒーラーの勉強をしたことがあり、スピリチュアルな世界の存在を信じていることを理解していたようです。

私の子供達は大人になるまでは霊が視えていました。私は視えないけれど、子供達の話を面白がって聞いている母親でした。

天台宗では毎年世界の貧しい村などに孤児院を建てたり、学校を建てたりしています。

ある年、Oさんはラオスの少数民族の村に学校を建てるために若い坊さんや檀家の若者たちを連れて行くのを任されたのです。その際、檀家ではないのですが、娘に手つだってほしいと頼んできました。檀家の娘さん達6名ぐらいのリーダーを頼まれたのです。娘はボランティアとしてラオスへ行きました。Oさんは「彼女が一番役に立ちました。」と喜んでくれました。

娘はその後も、夏休みに檀家の子供達が比叡山に集団で泊まり込む行事のお手伝いを頼まれています。(若いお坊さん達は小学生でも女の子の世話は苦手だそうです。)Oさんは檀家ではなくても光の世界を信じる人は同じと思ったのでしょう。

 

(つつじ・オガタマ・こでまり)

 

そんな時に東日本の大震災がおきたのです。Oさんの行動はとてもすばやかったです。自分のお寺にあるお米や関東のお寺の若い坊さん達を集めて、翌日から救援物資を東北へと運んでいます。初日は徹夜だったそうです。比叡山で同期の宮城県の友人は県外に用事で出かけていて無事でしたが、友人のお寺と妻と両親が亡くなるという被害を受けたそうです。Oさんはまずそこへ集中して救援物資を届けています。政府が動き出すよりも早く行動をしていました。Oさんは副住職だったので、父親に寺のことはお願いして、その後数カ月は東北に通い続けています。そして、夏休みには被災を受けた地区の子供達を自分のお寺へ連れてきて世話していました。(マスコミの取材は全て断ったそうです。)

私はその子供達へとOさんのお寺へ島からパッションフルーツを送ることぐらいしかできませんでした。

Oさんはその後も救援物資を届けるほかに肉体労働で道づくりなどを手伝っていました。100日回峰行など比叡山で鍛えた体が役にたっていたと思います。私はOさんはスピリチュアルな仲間だと思います。

 

 

(絵画展で気に入った絵です。)