現在世界には60億と言われる数の人間が存在し、

更に何千年もの間に数限りな人間が入れ替わり、

産まれては死んでいきましたが、

その中に一人として同じ人間はおらず、

全てが唯一無二の存在であることは、

驚くべき事ですが、事実です。

 

また例えば、何百種類もの食品の中から、

誰が何を好きで、何が合うかは、

同じ体質を持つ家族であっても違うはずです。

それぞれの嗜好や生活習慣において欠けている要素に、

何かの物質がヒットした時、

その人の体質改善に繋がるかもしれませんが、

それが別の人に合うとは限りません。

 

 

懺悔による許しと試練の受け入れが

セットとなるキリスト教の教えも、

快と不快を判別することすら滅する仏教の教えも、

どちらも素晴らしいものです。

全ての信仰に恐らく真理がありますが、

何千年の歴史の中で、

同じ人間が一人として居ないように、

その人の真実はその人の中にしかありません。

 

どの様な偉大な聖人の素晴らしい教えも、

長い年月の間に色々な人の手を通し、

変遷して分派していきます。

彼らが何かの法則に触れたことは事実なのでしょうが、

聖人も人間である以上、完璧ではありえず、

それが更に他の人の手を通して伝えられ、

それぞれが自分の経験と解釈によって、

それを受け止めるしかないからです。

 

逆に名もなき一般人であっても、

ストイックな自己改善と己の信仰において、

自らの病を奇跡の様に克服したり、

時にはその力をもって人の病も癒したり、

教育やビジネスにおいて、

奇跡的な成功を成し遂げる人も居ます。

その人たちは、何か自分の方法で、

法則を解く鍵を見つけたのかもしれませんが、

あなたがその人でない以上、

そのやり方をコピーするだけでは不可能です。

 

 

フランスの貧しい農家の娘ジャンヌ・ダルクは、

13歳の時に「神の啓示」を受け、

イングランドに包囲されていた地域を救って

シャルル7世を戴冠させます。

そして、後に囚われて異端とされ、

19歳で火刑となった、

カトリック教会の聖人にして、

フランスの国民的ヒロインです。

 

無学無筆であったジャンヌ・ダルクが、

祈りと信仰の力のみで聖書の真理を理解し、

居並ぶ神学論者たちを感動させたという

有名なエピソードがあります。

 

聖書の中には「何人たりとも、

自らが神の愛に値するものか、

憎しみに値するものか、

知ることはできない」との、

記述がありますので、宗教裁判における

「汝は神の恩寵を受けているか」という問いは

もし受けていると答えれば傲慢の罪に問われ、

受けていないのであれば異端とされる、

答えの無い難問でした。

 

しかしいつもただ神に今の自分の気持ちを語る事で、

対話を繰り返してきた彼女の、

ぶれない純粋な信仰心と真心は、

「もし私が神の愛を受けていないのなら、

どうかそれを与えてくださるように。

もし私が神の愛を受けているのであれば、

そのままにしておいてくださるように」

という卓越なる答えを導き出し、

この問答は裁判記録に記され、

現在でもカトリックの定型の祈りに、

必ずというほど見つける事が出来ます。

 

 

天にある一番美しい光は、

実は自分の一番内側に存在します。

色々な教えを参考にして、誰もが法則と繋がる、

自分のやり方を見つける為に、数々の学びはあります。

誰かを妄信することなく、自分の神を見つけた人のみが、

自らの世界において全ての法則を統べることができるのでしょう。

 

宗教とは「信じる」心を問い、鍛えるものです。

宗派にかかわらず、信じられるかどうかがキーとなり、

それはもれなく自分を信じる事にも繋がります。

 

瞑想や浄化、祈りはその為の最もシンプルで効果的なやり方の一つです。

白い紙にピンクのインクが落ちればピンク、ブルーならブルーと、

正確に認識できますが、自分に赤い色がついていれば、青を紫に、

黄色は緑になってしまいますし、

ピンクに気が付く事もできません。

自分を真っ白に保たなければなりません。

 

また水平であればメッセージは直角に刺さりますが、

自分が曲がっていたり、グラグラしていれば、

メッセージをダイレクトに受け止めることができません。

自分が水平であり、真っ白であることはとても大切です。

 

 

一つの同じ出来事でも感謝を持って受け止めるか、

まだ足りないと、不満を抱くかは違うように、

自分の目の前の世界は、

自分が作りだしている意識の反映です。

逆に言えば、自らの世界は自分で、

想像=イメージすることによって、

創造=クリエイトできるのです。

 

その為にはやはり、潜在意識の中からクリアに浄化するために、

自分の生活習慣や言動を見直しながら、瞑想や祈りなどを繰り返し、

同時に自分の中にいるもう一人の自分である、真実の光と、

自分だけの唯一無二の方法で、

アクセスするパイプを磨いていきたいものです。