ずっと私の片思いだった孝兄は同級生の兄上。私が孝兄を大好きだったことは、妹は今でも知らないと思う。妹と私、仲良しでもなかったし。学習院女子中等科に入り、孝兄を文化祭で見かけてステキな方―!と片思い。私中3、孝兄高3でした。孝兄は、学習院男子部の制服が似合う、スラッとした素敵な方。制帽はいつもカバンと一緒に抱えていて、悪っぽい人!カッコよかったなー!文化祭でも話せたり、周りに何時もいさせて下さって超得意!だって女の子の憧れの上級生だったからね!幸せだった。そのうち孝兄は大学へ!ちょと遠くなった。月日は流れ、何かの折に晴海に行ったとき、マツダ自動車のショールーム発見で、車を止めて中の車を覗いていたら、中から出てきた方が、なんと憧れの孝兄!

しかも「君、女子部にいたよね?名前なんだっけ?」と覚えていて下さった!チャンス!「知野晴子41年卒!」と名乗った。「中、入って!」「車好きなの?」「今何してるの?」「家どこ?」といろいろ質問が来て、舞い上がった私は何を答えたか全く覚えてない。それからしょっちゅう、孝兄のオフィスに遊びに行くようになり、孝兄の会社で、シルバーストーンのレース場からレターが来た話や、翻訳のまねごとしたり、すっかり入りびたり。妹のように可愛いがって下さり、秘書気分だった。いろんなところへ必ず一緒に連れて行って下さった。その後私も結婚、たぶん孝兄も結婚されてただろうし、だんだん疎遠になってしまって約十年会わずじまい。

月日は流れ、鈴鹿のモーターレース開催で、仲良しの読売新聞スポーツ担当のおじさまが、パドック入れてあげるからおいでというので、一人でルノーアルピーヌA310を運転して鈴鹿サーキットに向かった。レースは記者席で観戦できたし、とても楽しかった。前日入りの一泊予定だったので、大雨の中帰ろうとしたら「晴子?』と大声で呼び止められた。懐かしい孝兄だった!もちろん孝兄は仕事できてらして、これから帰るという 「大雨だし、俺が運転してくから一緒に帰ろう!」と感動のオファー!「晴子、おもちゃみたいな車乗ってるなー!」と私のアルピーヌの運転席に滑り込んだ元レーシングドライバーは、後ろにマツダのトップレーシングドライバー寺田陽次郎氏のロータリー車を従えて、私と2人、大雨の中一路東京へ。食事時間を入れて約8時間の二人っきりのドライブ。離れていた間のいろんな話が沢山出来た。その時の孝兄の一言「晴子みたいな眼の色の子は、ヨーロッパに行くといるんだよ」と!私の眼の色を覚えていて下さった!夢のような時間、忘れません。 私は、もうこの一言で十分、私の孝兄への思いは通じてたと思いました。孝兄はその後91年、マツダの監督でルマン優勝を果たされ、13年程前若くして、60代で逝かれました。今日もブログお読みくださってありがとうございます。よい一日を!Mom