父と母と、はじめてイタリアに行った時は私は20歳、ちょうどアリタリア航空が、東京ーローマ路線を発表した時で、その頃はまだ成田はなく、全部羽田発。直行便には程遠く、東京ローマ間を、幾つ停まって行っただろうかまず香港、バンコック、ボンベイ、カラチ、ドバイだったかな?よく覚えていないんだけど幾つもの都市を停まってローマ迄、20時間以上かったと思う。兄がアリタリア航空だったし、飛行機のファーストクラスはガラガラだったので、私達はファーストクラスに乗せてもらい、キャプテン席に入れたり、楽しい旅だった!当時から、アリタリア航空の制服は、ミラショーン、フェレ、ジョルジョ・アルマーニ等イタリアのデザイナーが担当。最近はジョルジョアルマーニがずっと担当でとっても素敵。

ローマの飛行場にはアリタリア航空ローマ駐在員S氏が迎えに来て下さった。どうもこのセッティングは、私とS 氏のお見合い的なセッティングだったらしい。S 氏は、ローマでの私達の滞在を全てケアして下さり、ホテルはVia Venetoの一番良いホテル、エクセルシオだったか、トップホテル。どこへ行くにも便利な場所。東京でいえば、東京のど真ん中のホテルと言った感じ。S氏は30歳、20歳の私にはちょっと叔父様って気がしてNGでしたね。でも英伊ペラペラのS氏のお陰で楽しいステイだった。父と母は、S氏の案内で、毎日市内見物、飽きた私は、ローマから2時間ほどのナポリへのバスツアに一人で申し込んだ。

バスの客はほとんどアメリカ人の団体で、賑やかで楽しかった。私くらいの年齢の子はビン・ビルホーンという南アフリカから来た男の子。ポロシャツに紺ブレを着たブリティシュでお洒落な男子、白人特有のピンク黒に日焼けした金髪の子 だった。そのアメリカ人の団体の中に、私達2人外国人だったので、なぜか私達は夫婦と思われ、南アフリカ人とアジア人の珍しいカップルということで、アメリカ人には大うけ!ナポリツアは始まった。ビンは学校以外は、インド洋と大西洋でサーフィンしていると。よく意味分からなかったけど、よく考えたらケープタウンはアフリカの最南端、インド洋と大西洋が交わるところなんだ!私はアフリカは皮膚の黒い人の国と思っていたので、金髪の白人がいるのが驚き。でも南アフリカは白人の国なんだって。

トロイ・ドナヒューみたいな、ステキな男子でした。まさにこんなチョッキに☝ブレザー着てた。

皆が夫婦と思っているなら、その振りをしようと、何時も手をつないで歩いた。これ以後ビンには一度も会ったことはなく50年過ぎたけど、ナポリツアのこの日も、忘れられない思い出。外歩くだけでついて来て声をかけるイタリア男子と違って、南アフリカの白人男子はとても英国的で、申し分ない上品なマナーの子でした。今日もブログお読み下さって、ありがとう!よい一日を祈ります。Mom