兄のカントリーウエスタンバンドをプロデュースなさった、ビッグ音楽プロデューサーの小島正雄氏夫人のご家族が湘南住まいで、18歳から22歳までそのお宅S家に,毎夏中居候してた私です。S家には、長女長男次男次女4人におじさま、おばさまの6人家族。お晴(私の事)一人増えたって変わらないから何時までもいなさいと、お言葉に甘えて毎夏中S家の子になった。

次男の晃ちゃんとは気が合い、一年上の成城大学生。毎日朝食後、片瀬海岸まで2人で歩いた。海岸に着くと、地元の子達がたくさん集まっていて、私はたった一人の東京っ子でも、皆すぐ打ち解けて、「ぶくろのオハル(池袋)」で通った。この辺の子達は大体、湘南高校か湘南学園の出身。大学で初めて東京に出て行く、慶応か、立教か、成城だった。

ちょうどサーフィンを、この辺男子たちが始めたばかりで、中心はミュージックプロデューサー小島正雄氏の一人っ子、恂(まこと)君、後に電通社員で、マキの上司となる不思議なご縁。湘南のお家はどこも広いお庭の家ばかり、きっと最初は別荘だったところに、戦後住み着いたという感じね。毎晩誰かの家でBBQパーティ!楽しかった。

私は晃ちゃんと本当に気が合い、音楽の好みも、ぴったし。あまりいつも一緒にいるから、S家の皆も、ビーチの仲間も、私たち結婚すると思ってたらしい。でもそういう話は二人間で全くなかった。晃ちゃんは、きりっとしたお雛様のような日本顔。背も高くていつもジーパンにYシャツと、お洒落も私好み。東京でも、映画見たり、コンサート行ったり、いつも一緒だった。

今もなぜ結婚しなかったのかと思うけれど、高校3年生の私と大学一年生の晃ちゃんのスタートは、余り一緒にいすぎて、兄妹的になってしまっていた気がする!大好きだったけど、結婚には至らなかった。晃ちゃんは音楽好きだったし、小島正雄氏の甥だったから、当然のように音楽関係に就職し、長いこと独身だったらしい。先日この入院で近くに来たから、S家に電話してみたら、長兄の浩君と話せて、かなり年令行ってから結婚し、もう亡くなったとの事だった。懐かしい十代話、おそまつ!!おそまつと言えば、この頃海ではサンデーかマガジン漫画の回し読み,おそ松君が全盛だった!今日もブログお読み下さってありがとうございます。今日の写真は、私が大好きだった男性達、マツダレーシングのル・マン優勝大橋監督(学習院の先輩で友人の兄貴)もう亡くなってしまったけれど、結婚したかった永遠の恋人!もう一人(台?)は14年一緒で、もう別れてしまったMB君。最後はマオ君です。よい一日を!Mom