せっちゃんとは私が28歳、せっちゃんが20歳の頃知り合った。レダ3歳、マキ1歳で、ベビーシッターとして紹介されて以来45年の付き合い。 兄しかいなった私にとって、せっちゃんはそれ以来、妹のような存在としてのお付き合いが始まったのです。


私達夫婦が夜出かける時、幼稚園のお迎えなど、せっちゃんは我が家の家族の一員とし、私達家族との絆がどんどん深まって行きました。夏避暑に行くときは、必ずせっちゃんも一緒でした。せっちゃんの20代は、私達との生活が長かったから、私は公私ともに、せっちゃんのおねえちゃまになって行きました。


正に姉妹としての関係と言っても過言ではないわね。 私がせっちゃんに与えた影響はかなり大きいわ。 せっちゃんも兄弟3人に女子1人だったから、姉のように今でも私を慕ってくれてます。 そのせっちゃんが、クレー射撃場で、イケメンの板さんと知り合い結婚。


せっちゃんの結婚式フラワーガールは、レダマキでした。結婚後せっちゃんファミリーの実家周辺でアークヒルズの開発が始まり、アークヒルズの高層マンションに暮らすことになりました。 マキが卒業したチャイニーズスクールに娘二人を通わせ、娘二人は北京語が話せるようになりました。



その後アメリカ移住を決め、シアトルに引っ越していきました。シアトルで板さんのご主人とペットのグルーミングを仕事とするせっちゃん家族は、幸せでした。ところがある日、ゴルフ中のご主人が突然倒れ、帰らぬ人となりました。人の人生って何が起こるか分かりませんね。


訃報を聞いて、私は即シアトルに飛んでいき、お葬式に参列できました。急なブッキングだったけど、シアトル直行便最後の一席が取れ、お葬式の30分前にシアトルの教会に到着、ひろしさんと最後の別れが出来ました。



現在長女は日本で家庭を持ち、次女はこの秋出産予定で、せっちゃんとスープの冷めない距離でシアトルに住んでいます。私を姉と思うせっちゃんは、神戸真知子さんのパンツをはき、飯野ママトートを持ち、ヤスクンの革のドレスも、何枚も作っていました。


今回も帰国して、森泉君の「The Globes」にヘアカットに行き、その足で、神戸真知子さんのお店に私がとっても気に入っているパンツを買いに行ったんですって!まるで妹のようになんでも私と同じ!可愛いでしょう!せっちゃんが東京でステイしてる長女のマンションにピクアプに行き、長女家族に送られて、岬へ出発しました。


まず岬に着いて、大沢さんで今朝生みたて赤卵、キュウリ、石野君の卵と、東京から買ってきたカイザーのフランスパンで、軽く遅昼です。 とれたて野菜と卵とパンで十分なランチね。海に暮らす幸せを感じる時間です。


今夜は木挽町のすし屋の娘だったせっちゃんの希望で、洋さん順ちゃんと一緒に江戸勘デイナー、楽しうございました。洋さんにはせっちゃんもお茶器の金継をお願いしていて、それを受け取りがてら、洋さんのお見舞いも兼ねた訪問。人間関係って、どんどん広がって行きますね。


江戸勘では、私に江戸勘を紹介してくれたこれもやはり30年来の友人、スコット・レーマン夫妻に会いました。スコットは、私がマスコミ業界で働き出した最初の広告会社で、30年前に知り合った人、広告業界での働き方を教えてくれた、いわば私の恩人の1人です。


今日も素敵な1日でした。益々昔からの友人関係が深くなっていく私でしょう!人生でi一番大切なものは友人よ!それを忘れないでね。 先週の三井倶楽部のファッシンショウでも、私、会うべくして会ったと思う美しいエステサロンの経営者に出会いました。運命です。


友達のネットワークは、終わる事を知りません。きっと永遠に新しい友達は現れて来るからこそ、人生は楽しいんではないかしら?良い友達をお持ちなさいね。素敵な一日を!Mom