このブログ読者は、長い事飯野ママブログの読者です。いろいろメッセージ交換しながら、岬の我が家にも訪ねていらっしゃいました。そんな彼女から届いたメッセージ、ぜひ他の読者の方にも読んでいただきたくて、ご本人の承諾をいただいてここにご紹介いたします。
私のブログに投稿してらしたころは、手術をなさった直後で、随分と辛い日々の様でした。いつもご主人がサポートしていらして、その優しさがコメントからも解りました。その内回復されて、ベビーが生まれました。 そのベビーをご主人とお二人で岬に見せに来て下さいました。
優しいご主人がベビーをずっと抱いて、奥様を気遣っていらっしゃいました。私はベビーのお祝いに、私のベビー服のコレクション(レダマキの子供の為に買ってあるベビー服)の中からプレゼントいたしました。 その御一度メールが来て以来、連絡が無くなり心配していたところ、下記のメッセージが届きました。どうやら又入院されていたようです。Mom

飯野ママ、大変ご無沙汰しました。
お陰さまで、退院しました!
前回メールをお送りした時はまだ放射線治療の副作用が軽く、メールを打つこともできたのですが、治療後半から副作用の「本番」が始まった感じで、治療が終わってもなかなか収まらず、思った以上に入院期間が延び、4カ月の病院滞在となりました。ママの入院よりは短いですが。 骨の状態の関係から左足を地面につくことは厳禁で、副作用でフラフラ、体重、体力、筋力も落ちた私にはハードでしたが、リハビリの先生方に支えられ、入院当初寝たきりだった状態から、歩行器で動けるようになるまでリハビリを続けることができました。

最後のほうで、病院のリハビリ室のキッチンで、歩行器で動きながら目玉焼きを作れたときは最高でした!時間はかなりかかりましたし、できないこと、やりづらいこともあったけれど、慣れれば
きっと沢山のことが出来るようになる!と思えてとても嬉しい体験でした。退院して大分元気になり、歩行器の扱いもかなり慣れました。 今は仙台の実家におりますが、夫の育児休暇が5月末で切れるのでこのまま仙台にずっといるわけにはいかず、千葉の義理の両親の家近くに部屋を借りて、彼らのサポートを受けながら暮らす方向で動いています。

入院中、仙台の実家で夫が子どもをずっとみてくれたので、子どもはすっかりお父さん子になりました。そんな事情もあり、今、夫が子どもを連れて千葉に部屋探しに行ってます。 退院してやっと 子どもと夫と一緒に過ごせると喜んだのもつかの間、今現在、特に子どもと全く会えない状態はつらく寂しいですが、新しいスタートのためなんだ、もうすぐ会える、と自分に言い聞かせ、携帯の子どもの写真を眺めて乗り切ります。

会えない間に料理の練習をしておこうと思い、簡単にパパっと出来る料理本を買い、毎日少しずつですが、台所に立っています。ただ、歩行器で動くこととモノを持ち上げて動かすのは短距離しかできないのと、座っての作業を加えたり、休憩を少し挟む必要から、たとえそれが時短料理だとしても、普通の人の3倍は時間がかかります。

でも、歩行器にもっと慣れて、体力と筋力をアップさせて、工夫を重ねればきっともっと上手にできるようになる、と信じて、辛抱強くやっています。ときどきは悲しくなることもありますが、何の感情も押し殺さないようにしています。今までは押し込み、我慢し、否定していたので。今は、自分が負と決めつけていた感情も認めています。まず自分に優しく。

そして、ここが今回のメールの本題なのですが、ママの意志の強さと、ママが片手で工夫を重ねて頑張ってこられたことを思い出し、私もできる!頑張ろう!と思い直しています。ママの存在が私を引っ張ってくださっています。 そして、そんな風に思い直す作業が心の訓練だと思っています。以前はできたのにできないことだったり、今どうしてもできないことには目を向けず、今できること、感謝できることにフォーカスする、思い直す、訓練の真っ最中です。

料理に関しては本当にベイビーステップですが、辛抱強く続けていき、ゆくゆくは歩行器使いの料理人No.1を目指しています。() 現実的なミニ目標は、一日のうち一食、家族のために作って出せるようになることです。 そして私達家族の最終目標は、夫、子ども、私の三人で、暮らせるようになることです。今は私が色々なサポートが必要なので、三人オンリーでは厳しいので。

ママを見習って寝る前はその日感謝できることを思い返しています。毎朝にも感謝の思いを抱いています。 特に、自力で起き上がれることです。一時期は自力で起き上がれなくなったので、自分で起き上がれることを本当に嬉しく思っています。自分でトイレに行けることも最高です。入院中、歩行器でトイレまで行き、初めて自分で便座に座れたときは涙をこらえることができませんでした。書きながら今も思い出し泣きをしています。

長くなりました。副作用でもうろうとしていたクリスマスから年末あたりは、ブログを拝見することもできませんでしたが、年が明けて、痛みどめの点滴を始めたあたりからまたブログを拝見できるようになり、現在もちろん毎日拝見しています。 当分室内は歩行器、外出は車椅子の生活ですが、特に車椅子での外出はさまざまな気づき、発見があってチャレンジであり、冒険であり、また、他の車椅子の方の気持ちが分かるようになる、自分を広げる体験なのだと思っています。

それから先日、ママのご友人の方の奥様が乳がんで闘病されていたこと、ママがその方にブログ再開をすすめられたことを拝見し、「乳がん」「ブログ」が私へのキーワードのように感じられました。 私もブログをやってみようと思います。ママみたいに毎日でなくとも。乳がんの方々のブログは治療内容とかつらさが書かれていて暗めなものが多いように思いましたが、そういうのでなくて、自分らしさを大事に、始めてみようと思います。 今日の仙台は大分日差しが暖かく、実家の庭に紫のヒヤシンスが咲いています。先日までは福寿草が咲いていました。春ですね。 今年もママとレダさん、マキさんのご健康と、さらなるご活躍を心よりお祈り申し上げます。コメントをお送りできてませんが、かなり頻繁にママの強さを思い、励まされ、自分を奮い立たせ、進んでいます。 すごく遅くなりましたが、ママが夫と子どもと私のことを思い出していた、とブログに書いてくださったこと、とても有難く嬉しかったです。