こんばんわ、第二回はこちら。

 

ラッキー』(原題:Lucky

 

監督 ジョン・キャロル・リンチ
脚本 ローガン・スパークス
ドラゴ・スモンジャ
出演者 ハリー・ディーン・スタントン
デヴィッド・リンチ


良い映画だなぁ!

グラントリノの二番煎じみたいな映画だろ?と思ったら全然違いました!すいません!
2020/03/04現在はAmazon primeにもNetflixでも視聴可能です。
以下ネタバレバリバリします!注意!

まずはログラインから。
 
<ログライン>
   一人で暮らす90歳の老人、ラッキーは毎日同じルーティンで生活していた。
   そんな中、老化によって倒れたラッキーは死について考え始める。
   そして死と、人とのつながりを通して、ラッキーは少しづつルーティンから逸脱していく。
 
 
こんな感じですかね?
全体の流れはラッキーが他者と、ユーモアや示唆に富んだ会話をし、
生や死について考える、静かな作品です。
こんな作品にハリウッド式のブレイクスナイダービートシート(以下BS2)が適用できるかよ!
と第二回目でくじけそうになりましたが、諦めず、BS2に当てはめてみました。
すると、いくつかのターニングポイントが見えてきて、
ラッキーがどういう話なのか、少しづつ見えてきました。
 
 
<オープニング>
   サボテンが生えた荒野。リクガメが画面外へ消える。
 
<セットアップ>
   90歳のラッキーにはルーティンがある。起きたらまずタバコを吸い、健康のためのヨガをする。
   時計の止まったコーヒーメーカーでコーヒーを飲み、着替えてカフェでクロスワードパズル。
   決まった道を歩き、道中で決まった店に「クソ女!」と言って立ち去る。
   量販店で買い物をし、家に帰ってTV番組を見る。
   夜はバーに行き、ブラッディマリーを頼む。
   友人デビットリンチの唯一の家族のリクガメが逃げたらしい。
 
<テーマの提示>
   ラッキーはリアリズムについて語る。
   「状況をありのまま受け入れる姿勢や行動と、ありのままの状況に対処する心構え」
   そして「魂は無い」と言う。
 
<きっかけ>
   コーヒーメーカーの止まった時計を見ていると、ラッキーは倒れてしまう。
 
<悩みの時>
   病院へ行くラッキーは自分が病気では無いと診断される。
   病気では無く老化であり、人は永遠に生きることは出来ないと医者に言われる。
   病院に行ったラッキーがいつものカフェに行くと、自分が座っていた席には若者が居た。
   仕方なく別の席に座り、病院に行った話をすると皆が心配する。
 
<第一ターニングポイント>
   大丈夫か?と尋ねられたラッキーは「知るか どうでもいい」と店を飛び出す。
   地面の空き缶を蹴飛ばし、いつもの店に「クソ女!」と言い放つ。
 
<サブプロット>
   量販店の女性のホームパーティに誘われる。ラッキーは「少し答えを待って欲しい」と保留にする。
   バラエティ番組の話。金の入った箱を選んでから中を見るまで一時間もかかる番組だという。
   バーの店主と妻との出会いの話。
   デヴィットリンチのリクガメに対する思い。
 
<お楽しみ>
   死を意識した上で聞くと、上記キャラクターの会話自体が生や死のメタファーに聞こえる。
   バーで弁護士がデヴィットリンチを保険に加入させようとするのを知ったラッキー。
   相続先は逃げたリクガメだという。ラッキーはそれは詐欺だと怒り、表に出ろと喧嘩をしかける。
   結局弁護士はやってこず、代わりにやってきたバーの店主が、「EXIT」と書かれた地下へ降りていくのを見つめる。
 
<ミッドポイント>
   孤独に眠るラッキー元へ、心配してやって来るカフェの店員。
   ルーティンのクイズ番組を見ようとするが、既に番組は終わっていた。
   カフェの店員はラッキーを抱き締める
   ラッキーは告白する「本当は怖い」と。
   カフェ店員は「分かるわ」と言って微笑みかける。
 
<迫りくる悪い奴ら>
   喧嘩寸前までになった弁護士とカフェで再開する。
   いがみ合う二人だったが、死について語り合い、
   分かりあえたと感じた弁護士はラッキーに微笑みかける。
   ラッキーはさらにルーティンを崩し、ペットショップへ。
   そこで餌として売られていたコオロギを購入し、家に放つ。
 
<すべてを失って>
   元海兵隊の男と出会い、沖縄戦について語る。
   そこで死を目の前にして微笑んだ少女が居た、という話を聞く。
   大きな恐怖を前にして、少女はどうして喜びを感じられたのだろうか。
   
<心の暗闇>
   ラッキーは止まっていたコーヒーメーカーの時計を合わせる。(生のイメージ)
   
<第二ターニングポイント>
   ラッキーは量販店の店員から誘われていた誕生日パーティへ出かける。
   ルーティンからは完全に逸脱した。
   そこでラッキーは歌を歌う、「君の腕に戻りたいんだ」と。
 
<フィナーレ>
   バーに来たラッキー。
   デヴィットリンチは逃げたリクガメへの執着を手放そうと思っていると伝える。
   「彼が出ていったのはきっと大事な用事があったからだ。私は門を開けておく」。
   タバコを吸おうとするラッキーはここは禁煙だ、出禁にするぞと店主と言い合いになる。
   タバコについての話だが、それは罪と罰、失楽園のメタファーにも聞こえる。
   そしてラッキーは言う、死んだあとは無になるんだと、それが真理だと。
   皆は不安げに問う、「無だとすれば、私たちはどうすればいいんだ?」
   ラッキーは答える「微笑むのさ」と笑って見せる。
   皆は安心したようにお互いを慈しみ合い、ラッキーはタバコを吸う。
   いつもの道にラッキーの姿は無い。ラッキーはいつもの店の前に来るが、
   今日は「クソ女!」とは叫ばない。店の名前は「イヴの園」、今は閉店している。
   荒野で大きなサボテンを見上げ、そういったサボテンがそこかしこにある事に気付く。
   タバコを吸うラッキーは、観客に微笑みかける。
 
<ファイナルイメージ>
   荒野を去っていくラッキー。リクガメが画面の外から戻ってくる。
 
 
 
 
なんだこれ!?いい映画だなー。
恥ずかしながらこの主役の役者が誰なのかピンと来てないのですが、
これが遺作のようですね。
 
監督はグラントリノの床屋のアイツ!ファウンダーのマクドナルド兄弟のアイツですね!
いい顔だなーなんて思ってましたが、とんでもない才能ですね!これが初監督作品なんて!
ナイス!
 
グラントリノみたいな話かな、と思って見始めましたら全然違いました。
もちろんグラントリノ感は監督自身が出演してる映画なので多少ありますが、
それよりもジャンマルクヴァレの「ダラスバイヤーズクラブ」に似てました。
そしてなによりも「ぽっぽや」!ハーモニカの音色と不器用な男の退場、アメリカ版ぽっぽやじゃ!
 
BS2は基本的にはハリウッド映画における脚本の構造分解のツールですが、
下敷きとなっているのは三幕構成はもちろんのこと、
ジョーゼフキャンベルの「千の顔を持つ英雄」、
それを脚本術に落とし込んだ、クリストファーボグラーの「英雄の旅路」などなどなので、
あらゆる物語に適用できると言えなくもない……と思います笑
   
語り合うばかりに見え、大筋がなさそうにみえるこの映画も、
しっかりとターニングポイントが置かれてることがわかります。
そしてそれらは、ラッキーをルーティンという「楽園」から追い出す役割をしていますよね。
 
<第一ターニングポイント>では病気になったラッキーが、死を意識し、死から目を背けようとします。
 
<ミッドポイント>では死への恐怖を告白したラッキーが他者の優しさを肌で感じます。
 
<第二ターニングポイント>ではついにルーティンの世界から他人の世界に飛び込みます。
 
そして最後には、ラッキーはどこかへ消えてしまいます。
すべてのシーンがテーマと密接に寄り添った、とても素晴らしい映画だと思います。
ただ、テーマが何なのか、生と死、罪と罰、規律と自由、人間と神、
自分はちょっと勉強不足で分からないのですが、
僕たちもリクガメと同じなら、
何か大事な用があって楽園から逃げ出したのかもしれないですね(遠い目)。
 
最後に、<ミッドポイント>について。
<ミッドポイント>は基本的には物語の「最高に調子が良い」ビートですが、
物語によっては<ミッドポイント>が「最悪に調子が悪い」ビートに変わる時もあります。
そういう物語は<ミッドポイント>へ向けて下降していき、
<ミッドポイント>はかりそめの「勝利」ではなく、かりそめの「敗北」になります。
そして<ミッドポイント>から主人公が上昇していくような物語のタイプです。
(ワンピースとか大体そんな感じですよね?序破急の物語のタイプなんでしょうか?適当です)
 
この物語はミッドポイント付近で最も暗くなりますよね。
(謎の赤い地下を見るシーンは、地獄のメタファーでしょうか?)
<ミッドポイント>が「最高地点」の時、<心の暗闇>が最低地点ですが。逆に、
<ミッドポイント>が「最低地点」だと、<心の暗闇>は最も明るい場面となったりします。
自分的には一概にそうとは言えない、という認識ですが、大体そんな感じです。
 
あー、ぽっぽや、みてぇ~!
そしていい映画みたなぁ。
 
★★★★★ 星5つ!