ブリジストンとの、長い蜜月を経て、今年はピレリという新しいタイヤメーカーというのが、フェラーリの不調に関係あるのかないのか、、、なんてことを考える季節がやってきましたね。

どうなんですかね。

個人的には、少し気になってはいるんですが。

合わないのかしら?なんて。

でも、去年もそんなに調子はよろしくなかったので、そういうんじゃないんですかね。

でもま、まだ2戦目なので、これからでありますな。


今年も初戦から、レッドブルは好調にぶっちぎっていて、羨ましい・・・。


ところで、ここ広島では、F1の予選が地上波で放送されないという、悲しい事実。


東京から広島に来て、早1ヶ月。


幸運にもというか、地震の難は逃れ、遠方からただ流れてくる情報のみを頼りに、もやもやとした気持ちで様子を見守っていたのです。


が、今週は東京に出張があり、自分の目でわずかながら様子を見ることができたのです。


日常にもがいている人たちを。

もがいている街並みを。


前に自分の居た日常と、次にその場所に戻った時の格差を、ありありと実感はしたのですが、

以前の日常よりも、現状の方に好感のもてる有様もあったりなんかして。


少し間引かれたことによって、丁度よく感じる事柄なんかもあるのだな、なんてことを少し思ったのです。

その状況に置かれている人たちは、どう感じているのか知りませんが。


すこし引いた目線。


1歩と言わず、2、3歩引いた目線。


そして、また新幹線に乗り、様子を見守る日々の中に戻ってきたのです。




・・・さて今週は、待ちに待った2011年開幕戦!!!!

ちょっともやもやが解消したので、全力で観戦しよーう。


アロンソ!今年こそ!!

自分の目で見て感じること、美しいと思うこと、没頭することは、生を感じる1つの瞬間だなぁと、また今日思う。


森美術館で行われている、小谷元彦展「幽体の知覚」に行ってきた。

展覧会情報で、どのような作品が展示されているのか、見たうえで行ったのだが、やはり実物を目にして感じる美しさや繊細さ、その場所の醸し出す雰囲気は、現場でないと味わえないということを改めて思う。


小谷氏の作品は、去年「知覚の扉」展で見た9th room しか知らず、今回の展覧会でも、その9th roomの変化形(?)の展示があるようなので、主にそれを目当てに行ってきたのだが、それ以外の彫刻作品もまた違う美しさがあり、怖さがあり、繊細さがあり、とても楽しかった。


同時に、プラネタリウムクリエイター大平氏のプロデュースする、「スカイプラネタリウム」というのもやっていて、そちらも見てきたのだが、規模は小さいながらも、初めて大平氏のメガスターの世界に少し触れることができた。

大平氏もかねてから興味のある人物だったので、見ることができて満足。

ちょっと混んでいたので、あまりゆっくりと観賞することはできなかったのですが。

またゆっくり見られる機会があれば、是非また見にゆこうと思う。


「幽体の知覚」は2月27日までやっているので、宜しければ是非。

六本木の森美術館です。


六本木森美術館は、月曜日も休館せずに営業してくれているので、月曜休みの多い身としては本当に嬉しい。

あざーす!!

今年の正月に、実家から自宅に戻る際に、帰りの電車での読み物をと、父の本を拝借したのでありますが、

その巻末に、かつて大学生だった頃のゼミの先生の本が紹介されておりまして。

わ!いつの間に本なんか出して!という出来事があったのです。


そのちょっとした出来事から、その先生の本を書店にて買い求め、このところ読んでいたのでありますが、

その本が火山の噴火に関する本ということで、近頃は少し火山にも興味が湧いていたところ。


火山が噴火する際には、水蒸気や火山ガス、火山灰や溶岩などが火口から噴出するというのは、イメージあるかと思うのですが、その噴出する際の衝撃というか、摩擦というかにより、雷も発生するんですね。


火山雷というそうなんですが。

それがね、かっこいいわけ。

おもうに

ほら。この青白い光が火山雷なんですけど。


おもうに

ね、すごくないですか?このビジュアル。


おもうに

実際、こんなことが身近で起きたら、たまんないですけれども。


おもうに

いやー。かっこいい。こんなことが実際に自然現象として起こっているんですよぉ。

すーごい。


っていう、ただそれだけなんですが。

無いわけじゃないけれども、無いこともないとも言い切れない。

ある可能性もあるけれども、絶対にあるかはわからない。


ふんわりしてますね~。

ふんわりしているんです。


うすく考えてはおるのです。

でもまだそのような気持ちではないのです。


そのような気持ちになる時が来るかどうかも、その時が来ないとわからないのです。


その時が来なかった時には諦めましょう、潔く。

そういうこともあるということで。


その時が来た時にはもう遅かったなんてこともあるでしょう。

そんな時には諦めます。潔く。

だってそういうこともあるんですもの。


その時が来た時に。

その時が来ていないのに考えたその時のことなんて。

本当にその時が来た時に、その時のことを考えます。


今がその時じゃないことだけが確かなことなのです。

全くもってその時ではないのです。


その時が来るかもしれないということを、ただうすーく胸に留めてはあるのです。


だから無いわけじゃないけれども、無いとも言い切れないし、ある可能性もあるけれども、絶対にあるかはわからないのです。


実家を継ぐかどうかっちゅう話でした。