最近、提携している表具店で店主の女性が「従妹の娘さんが行政書士試験を

受けるので、何かアドバイスはないか?」と言う。しかし、私が受験した頃は、

「公務員の採用試験のような試験で、最近の試験とはずいぶん内容が異なり

参考になりません。」と説明しました。時代が変わると随分いろいろ変わるもの

ですね。

 

40年近く前に勉強した頃の事を参考に問いかけてみたいです。

「遺言書」に関わる事でもありますが、皆さんはどちら派だろうか?

1 自分の稼いだ財産なのだから全て自分の自由に処分したい。

2 自分の稼いだ財産でも残された親族等のために処分制限はやむをえない。

どちらを重視して考えるでしょうか?

私は、ほぼ迷わず「1」と思っています。自分の財産処分を制限されるのは、

よほどやむをえない事情(反社会性が極めて強いなど、例えば、殺人依頼等

→こういってしまうと「必殺仕事人」は仕事になりませんが。古いドラマで知らない

人も多いかもしれませんが、あれは死んでいく恨みをもった人が金(仕事料)を

出して殺人を依頼(この依頼はほぼ遺言)するという設定が基本)でない限りは

自由であるべきと考えています。

現行民法では、遺留分制度があり、例え「遺言書」で財産の全てを特定人に

譲渡するとしていても、遺留分の限度で減殺される仕組みになっているのは

皆さん承知のとおりです。

しかし、おかしくないでしょうか。財産(特に物権)は近代以来、自由処分が前提

です。中世の頃のような重層的支配関係に苦しんでいた一般民衆の苦境を

二度と再現させないための工夫であったはずです。それをどちらかといえば

前近代的な残された親族等の生活保障のために減殺するというのは、この

流れに逆行するものといえるのではないでしょうか。

 

「遺言書」というのは、遺言者の最終的意思表示であり、最後の自己実現の場で

あろうと考えられるのです。最大限の尊重がなされるべきものであると思います。

遺留分減殺請求権は、法定の権利であり、要件に該当すれば、主張・行使できる

のは当然の事であろうと思います。しかし、本人意思の尊重は、それでも最大限

に図られるべきものであるはずです。

 

行政書士のできる事には限りがありますが、予防法務として、「遺言・相続」問題

の穏当な解決は、今後も主要な業務の一つとなっていくものと思っています。