前回投稿のとおり、遺言書でなくとも遺言(遺言)にも重要な面がある事は

当然の事だと思います。

 人が亡くなる前に死後の事を伝言するのはおそらくそれが最後になるから

です。

 しかし、その伝言を誤ってしまえば、その人の評価は低下してしまうかも

しれないのです。

 前回投稿の友人も、実際、かなりの数の古文書を所有していました。中世

の物は僅かで、ほとんどは近世以後の物でしたが、数千点にのぼる数では

ありました。確かに、保存の便宜を考慮すれば、町への寄贈より、県への寄

贈の方が保存に使用される施設・設備も良く、その方が正しい選択であった

事は間違いないのでしょう。

 それでも、大きな問題は少なくとも二点あると思います。

 まず、彼の動機が、生前、町にあまり相手にされなかった事への恨みがあ

ったのではないか?という点です。生前、彼は自分の系統に関する事に関係

がなければ、ほとんど関心をしめしませんでした。しかし、町・町民にしてみれ

ば、むしろその家の系統に関する事は個人的な事になり、逆に、町にはあま

り関係のない事のように思っていたはずなのです。だから、本当は、彼と町と

の間のバランスがもう少し良ければ、関係も改善されたはずなのです。

 次に、彼は、あまりにも多くの古文書を所有していたため、その文書を絶対

視する傾向がありました。しかし、文書に書いてある事は必ずしも真実である

とばかりは言えないものであり、十分内容を検討・検証しなければならないは

ずなのです。それをあまり考慮していなかったようなのです。例えば、考古学

的な手法を彼は毛嫌いする傾向がありましたが、本来、より客観的なのは、

むしろ考古学的手法の方であり、現代の最先端技術を駆使した方法の方が

信頼性は高いのではないでしょうか?

 私は、令和6年2月15日に、彼の遺言を彼の最後の2年間を介護したと

いう女性の方から聞きました。自分の本を学芸員の方へ渡そうとしていたの

も、相当躊躇されました。しかし、ここへきて、やはり、渡すべきではないかと

強く思うようになったのです。それは、どう考えても古文書の方が間違っている

と思われるものまで、根拠が「古文書」であるからという理由で、反対意見を

否定されるいわれはないのではないかという考えに基づくものです。彼の遺言

では「古文書に根拠のない本を残さないで欲しい。」というものでしたが、やはり

私にしてみればおかしい。亡くなった後も、彼については友人であったと今でも

思っていますが、その事と、彼の遺言をどこまで尊重するべきかとは別問題で

はないかと考えたからです。

 遺言・相続は、行政書士業務としても行いますが、観賞用家系図については

平成22年12月の最高裁判例で、行政書士業務ではない事が確定しています。

行政書士業務としても、この「遺言書」でない遺言の尊重は大切なものであると

思われるので、今後の課題としては重たいものになると考えています。親族関係

相関図と違って、家系図は必ずしも親族(血系)だけを反映したものではなく、

古い日本の文化を象徴しているような物なのですから、独特のものがあるのです。