平成12年4月20日18時00分頃、我父親(飯嶋眞)がくも膜下出血によって突然死してか
ら、8月の百箇日法事の件まで記述しました。8月、百箇日の法事にすら参加できなかった後
私(飯嶋真一)は、以前、別件で知り合いになっていた弁護士のM・M氏を代理人として、家事
調停を申し立てました。10月頃、第一回の調停があり、私と後妻の三千枝さんは代理人を立
てるかたちで、弟(飯嶋健士)は代理人を立てないで本人が参加するかたちで、それぞれのか
たちで、家事調停がスタートしました。だいたい二ヵ月か三ヵ月に1回のペースで進行しまし
た。なかなか折り合いをつけるのが難しいだけでなく、亡父(飯嶋眞)がせっかく残してくれた
遺言書の件がとりだたされる事もないまま、平成13年4月(亡父の一周忌)を迎える事になり
ました。今回、法事の施主は私(飯嶋真一)が執り行う事となったのですが、たいへんな苦労
をする結果となりました。従前の檀家寺を住職の深い理解もあり離檀したうえ、新たに近傍の
同宗旨の御寺の檀家となったうえでの執行となりました。ともかくもそのような状況が続いて、
特段の進行もないまま、平成13年8月を迎える事になりました。代理人の弁護士からは、「こ
のままでは、状況の進展は当分望めない。」からという事で、私(飯嶋真一)と弟(飯嶋健士)
の荷物を実家から運び出す事になりました。これも一苦労だったのですが、なんとか予定どお
り運び出すと、弁護士の読みの通り、事態が動き始めました。後妻の三千枝さんも、近所の
人達から何か言われたりしたのでしょう。動かざるを得なくなったようなのです。今回は、ここ
までにしたいと思います。次回は、家事調停決着の結果等について、辛い経験を物語たいと
考えています。