遺言書の本質は、本人の死を離れては存在できないものだと思います。人間の命が限りあ

るものであるからこそ、その存在意義があるものだと考えます。とすれば、命が限りないもの

であれば必要ない事になります。人の命が永遠であったら人間はどうなるでしょう。不老不死

なんとなく良い事のように感じる方もいるかもしれませんが、どうでしょうか。死ねない苦しみも

あるかもしれません。限りなく続く苦しみもあるかもしれません。こればかりは想像はできても

現実味のない話かもしれません。でも、想像してみてください。永遠に続く時間は、実は、それ

だけでも永遠の苦しみではないですか。お釈迦様は、死だけを苦しみとは説かれませんでし

た。「生老病死」(四苦)は全て苦しみであると説かれました。つまり、「生」きる事さえも苦しみ

の一つだというのです。勿論、宗教的な事を述べずとも、一般論としても十分想像できるよう

に思います。限りある命だからこそ、精一杯生きようとするものだと考えます。さて、そのように

考えれば、限りある命の最後のメッセージである遺言書は、よけいに大切なものであると思え

てはこないでしょうか。だからこそ、その大切なメッセージを誰に託して、どのような内容のもの

にするのかが、非常に重要な事になってくるのだと思うのです。一見無意味と思えるような事

が、実は一番大切だったと後になって気付く事もあるのです。我々の限りある命、頂いた命を

大切に思うのであれば、その存在する一瞬々々を本当に大事にしたいものですね。