先祖調査、系図作成は、先祖供養、自己探求、子孫への遺言等になると考えています。私

の祖父(飯嶋丙午郎)は、明治39年、飯嶋儀蔵の次男として生まれました。当初、幼くして、

神奈川県横浜市で銀行家をしていた叔父(飯嶋豊蔵)の養子となるのですが、数年して養家

を家出、その足で海軍横浜海兵団へ入営してしまいました。私は、祖父から「養家の躾があま

りに厳しかった。軍隊(海軍の方)が楽だった。」と聞きました。その後、祖父は海軍工機学校

を卒業、戦艦陸奥、重巡摩耶などの勤務を経て、陸戦隊勤務となりました。満州事変、上海事

変(このとき手を撃ち抜かれる重症を負う)、ミッドウェー戦(祖父は上陸予定の為、海戦としま

せんが)、豊橋航空戦、本土決戦準備(武山海兵団所属)と20年間にわたって勤務、昭和20

年終戦(最終階級少尉・同期のほとんどが佐官になるなか事情があって原級留置期間が長く

こういう事になりました)を迎える事になりました。話は少し遡り、祖父が家出した後、養家へは

祖父の弟で三男の辰三大伯父が養子になりました。しかし、この人も結局養子は務まらず、

家出して陸軍へ入営、野戦重砲兵の幹部候補生になり、ノモンハン事件、日中戦争を戦い、

昭和20年の終戦を迎える事になりました。直接聞いたわけではありませんが、おそらく祖父と

同じで、養家の躾より軍隊(陸軍の方)が楽だったのではないかと考えています。どんなものか

は想像できませんが、養家での躾はとてつもなく厳しいものであったものと考えています。