私(飯嶋真一)の父親(飯嶋眞)は、平成12年4月20日に死亡しました。頑健な男で元気だ
った父がくも膜下出血のために突然死してしまったのです。その前年、平成11年1月11日、
母親(飯嶋千代子)の十三回忌(母はすでに昭和62年2月2日、白血病のため他界)を実施
した際、父は我々三人の兄弟へ「これあるかなら。」と言って、各人あての遺言書を見せてく
れました。遺言書がある事はわかっていたのですが、父親と最後に一緒にいた方が我々に
その遺言書を渡してくれる事はありませんでした。父親も遺言書を書いたかぎりは、何か自分
自信に兆候を感じての事だったかもしれません。また、各人あてのものでしたから、名宛人に
その遺言書を読んで欲しかったと思うのです。私の父親は厳しい人でしたから、私宛の遺言も
厳しい内容のものだったと考えられますが、それでも私は父の最後のメッセージが読みたかっ
た。非常に残念で悲しい思いをしたのです。現在は、自筆証書遺言の法務局(遺言保管所)
の制度が始まっていますから(令和2年7月10日スタート)、このような問題は回避可能かもし
れませんが、当時では、私のようなケースもけっして珍しい事ではなかったのです。やはり、
メッセージは発信者から受信者へと渡されるべきものと、私は強く思うようになったのです。