今の、私は確かに疲れている。 昨夜も2時に目を覚ますとそれから眠れなくなった。

原因は自分でもはっきりわかっている。 仕事がかなり苦しい局面を迎えている。私は極度の被害妄想

にかかっているように思う。  顧客から無理難題を課せられるのではないか?  競争の同業者がまた

攻めてくるのでは?  顧客が次々に無くなるのではないか?こんなことが私に襲ってくるように思って

ならない。   (≡^∇^≡)    私を取り巻く環境が悪化しているのは確かだが、私の考えが悪い方に……悪い方に……流れていく。


夜中にこんなことを考えていると頭がさえ、眠れないのはたしかである。 時が解決してくれるのはたしかであるが今の苦境から少しでも脱却したい。 


相場の下落、競争の激化の悪条件が私を襲い打ちのめされているのかもしれない。 一日も早くこの状態から脱却したい。


               モンスター

今日で終戦67年目を迎えた。 月日の流れは速いもので私が7歳の時に終戦を迎えた。B29戦闘機が

上空を遅い、私の住んでいた藤井寺から見ると堺の工業地帯は火の海だった。食べるものはほとんどなく母の手を握って震えていたことを覚えている。ドクロたまに食べるのがぬかのせんべいだった。 家が貧しかったので主食はおかゆとイモだけであった。 でも私の母は私を可愛がってくれ今でも母の思いやりは忘れない。末っ子の私を特に目をかけてくれた。  ドキドキ  終戦を境にして私たちの生活はますます

厳しくなってきた。母は闇米の買い出しに行き私たちを育ててくれた。私は近所の子守をしてその駄賃で

空腹をしのいだ。兄は学費が払えず何度も学校から呼び出しを受けた。衣服もまともなものを身に着けることができなかった。  終戦から物資の不足が目につき今から思えばよくぞ生き延びたと思う。その当時母はおそらく48歳前後だった思う。 苦労したのだろう。 こんな期間が5,6年筒”いたのだろう。


終戦記念日を迎えるたびに母の姿が浮かんでくる。苦しいときの思い出はまだまだあり、忘れることができない。   当時7歳の少年が今は74歳になったのだから年月の流れはすこぶる早い。


今夜は母の笑顔を思い浮かべながら床に就く。   モンスター

今日、仕事が終わった後孫とボウリングをした。3ゲームをする体力は私にはまだある。  

今まで何回も孫と対戦したが負けたことがなかったが、今日、3ゲーム目に154対125で私が負けた。

でも孫とこうやってボウリングできることが楽しい。ニコニコ  19歳と73歳ではなかなか共通の話題がないが

たとえ40分でも二人で楽しめることはうれしいことである。 こうやって孫といつまでボウリングが

できるだろうーか? !?   モンスター