いま相撲界の騒ぎは(日馬富士の件)

調査中という事で、私達にはよく判らない

ところではあるけれど、

一つだけ、いまどきだなと思った。

やはり、スマホがからんでいる事だ。

この後真相が明らかになり、

思い違いもあるかもしれないけれど、

なんとなく、思い当たる節もある。

人が話をしている時、うわのそらで、

スマホの画面をのぞいていたら、失礼な

やつだと思う経験は一度や二度では

ない。

もしかしたら自分もやっていたかもしれない。

なんだろう。

たぶん、すぐ見たいという辛抱のなさ、現代人の

すぐすぐ中毒の結果のように思う。

すぐすぐ中毒は蔓延している。

飲食店ですぐ食べ物が出てこないといらつく。

電車もすぐ来ないと嫌だ。

エレベーターの閉まるボタンを連打する。

バスが一時間に一本なんて

ありえない。

調べものも図書館に行って閉架式の本なんかで

調べるなんて、、、、無い。

スマホで今すぐ一発検索できなければ

いらつく。・・・・・・・・

先日も携帯を持っていない友人

(スマホ以前の携帯も

持ってない友人はふたりいる。)に、

スマホってなんで必要なの?と

聞かれて、単なる「すぐ、すぐ」中毒症のため

だとおもった。

家に帰ってパソコンでやってもできる事が

ほとんどだ。

たしかに地図アプリ、乗換アプリ、ライン、これぐらい

はあっても便利とおもうけれど、

いままで駅の人に聞いたり、紙の地図見たり

脳みそフル回転でやってきた。

人間力の衰えと辛抱力の衰退を感じる。

では人の体のテンポはどうだろうか。

風邪をひいたり、けがをした時、一発検索スピードで

治ることはない。

人間の体のテンポは速まらない。

よい薬ができたとしても日にち単位でしか

治らない。

稀勢の里だって怪我の後無理をして

相撲を取ったけれど、

見ておれなかった。

治るまでの時間は

最低いるのであって、意地ではどうにもならない。

現実の肉体のテンポは縮まらない。

風邪をひいたら、熱が出て

一日、二日は寝込むではないか。

睡眠時間だって短くできないではないか。

私達の説明のできないいらいらの原因は

体と文明の速度のずれから来ているのだと思う。

 

目覚めよ!宇宙人。山本耕一より

抜粋 368ページ

黙約の箱

 この世界で・・・・・・・ムダになるものは、なに一つないのです。

 人の考えは・・・・・・それは、たとえ、一人の人の頭に湧いたものだと

しても、それは、人の心、人のからだの

知るところとなり……一人の人の範囲を超えて、広がっていきます。

その考えは、時を越え、へだたりをのりこえて、遠く離れた人のもとに

届けられるでしょう。

 人の考えが、具体的な姿をとるのは・・・・・・それは、一つの

縁によります。そのような縁が集まって、人の考えは、

この地を少しずつ変えていきます。

 またそこには、精妙にこの地を組みあげている地の

神との対話があります。人の考えは、少しずつ、

少しずつ、地の神々との対話をかさねることに

よって、それを形としてこの世界に実現していく

基礎を持つのです。

 この対話は・・・・・・あなたがたの世界では「科学」

と呼ばれるものですが、人は、地の神々のはたらき

に法則をみいだし、またみずからの頭の考えを、

この地の神々のおはたらきにのせて、

形として現わそうとするのです。

 ですから、人の考えは、最初は地の神々の

おはたらきにとっては異物となりますが・・・・・・

少しずつ、少しずつなじんでいくことによって、

それは、地の神々のおはたらきに組みこまれて、

やがて、この地を、人の考えが含まれた姿へ

と変化させていきます。

 ここで・・・・・・考えなければならないのは、

やはりその速度、地を変化させていく速度

のことでしょう。

 本来の地の神々のおはたらきに、自然に組みこまれて

ゆくには・・・・・・やはり、あなたがたの文明の速度

は速すぎるのです。速すぎる改革は、すべてを破壊し・・・・・・

そして、それを地の神々の本来のおはたらきの

速度に戻すには、膨大な時間を要するのです。

 人は・・・・・・やはり、みずからの中に、地の神々の

速度を持つこと・・・・・・その、地の神々の速度、あなたがた

の中の地の神々の速度とは、あなたがたの「からだ」に

ほかなりません。人は・・・・・・からだの声を聞いて

すべてを進めるとき、けっしてまちがうということは

ないのです。

 人の心は・・・・・・それが「普遍」をしったとき、

一気に飛ぼうとするのですが・・・・・・そこで、心を矯め、

心を、心の細部を、一つ一つからだの速度に

あわせて、ゆっくりと進んでゆくのです。

 宇宙の意識の本来のありかたは、そのような

ものです。そしてまたそれが、この地球における

地の神々の速度、地の神々の想いでもあるのです・・・・・・

 

 しかし・・・・・・「変わるとき」、地の神々のからだは、やはり

一気に変化いたします。それは、それまでのお役が終了

したことにより、それまでの速度を失い・・・・・・新しい

姿へと、急速に変貌していきます。

 しかし、人の形成したものは、それは、

いままでの速度の分、そこにとどまってしまう・・・・・・

すなわち、いままで地の神々の速度を

無視して急速に変化させたつぐないを、このときに

すべてつぐなわなければなりません。

 人のカルマというもの、人類のカルマというものは・・・・・・・

そのほとんどが、これまでの地の神々の

速度を無視して急速ににすべてを進めてしまった

ことによるものです。

 進めてしまった針は、終わりのときに、きっちりと

元に戻さなければならないでしょう。これが・・・・・・

これから行われること、これから起こってくることです。

 あなたがたの目は、心は、これを見るでしょう。そして

人の心が地の神々の心を無視してつくりあげてしまった

ものの中に・・・・・・あなたがたのこれまでの心、

そのものを見ることになるのです。

 これから、これが行われます。

 人は・・・・・・すべてを注意して見てください。 

 その中に・・・・・・すべてをといていくカギがあります。

 このことが・・・・・・すべて行われないうちは、

終わりはきません。ことは、やはりそれほどに

厳しいものなのです。

 人類のカルマがとけること、いままでのすべてが

明るみに出され、人の心が、そのすべてを

はっきりと知り、わかること・・・・・・これが、これさえ

行われれば・・・・・・すべては終わります。

 これが、終わるときの箱・・・・・・すべてが納められた

黙約の箱となるでしょう。

(なぜ「黙約の箱」と呼ばれるのだろう・・・・・・と

思ったとき、次の思い)

 それは・・・・・・人の意識が、これまで知らずに

すべてをこの箱の中に蓄積してしまったから・・・・・・

これはすなわち、「樽のカルマ」である