大正六年四月、西田幾多郎博士は、東京に来られて、哲学会の公開講演会で『種々の世界』という題で、話をされた。私は一高の生徒としてその講演を聴きに行った。このとき初めて私は西田先生の謦咳に接したのである。講演はよく理解できなかったが、極めて印象の深いものであった。先生は和服で出てこられた。そしてうつむいて演壇をあちこち歩きながら、ぽつりぽつりと話された。それはひとに話すというよりも、自分で考えをまとめることに心を砕いていられるといったふうに見えた。時々立ち停って黒板に円を描いたり線を引いたりされるが、それとてもひとに説明するというよりも、自分で思想を表現する適切な方法を摸索していられるといったふうに見えた。私は一人の大学教授をでなく、「思索する人」そのものを見たのである。私は思索する人の苦悩をさえそこに見たように思った。あの頃は先生の思索生活においてもいちばん苦しい時代であったのではないかと思う。その時の講演は『哲学雑誌』に発表されて、やがてその年の秋出版された『自覚に於ける直観と反省』という劃期的な書物に跋として収められたが、この本は「余の悪戦苦闘のドキュメント」であると、先生自身その序文の中で記されている。
その年、私は京都大学の哲学科に入学して、直接西田先生に就いて学ぶことになった。私がその決心をしたのは、先生の『善の研究』を繙いて以来のことである。それはこの本がまだ岩波から出ていなかった時で、絶版になっていたのを、古本で見附けてきた。