男性天皇論「男女が対等な存在であることの証(あかし)」
1.[アダムに支配されたイブ、対等な関係を築いたイザナギとイザナミ]。日本人は、支配されることを嫌う。一寸の虫にも五分の魂があるからだ。吉田松陰の言葉の中に「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。」がある。学び、問うから学問という。師匠の教えをただ覚えるだけなら、それは学びではあっても、学問ではない。勉強しても、なんのタシにもならない。先人に問い、師に問い、自分に問い、それらを自らの人生の肥やし(肥料)にするかるのが学問だ。
2.旧約聖書の創成期にあるのが、アダムとイブによる人類の「原罪」の物語。アダムとイブはエデンの園で禁断のリンゴの実を食べることで、互いが裸であることに気付き、腰巻きを付けたところを神に見とがめられてしまう。神の問いにアダムは「神が創られたイブに勧められた」と神と女に責任転嫁し、イブは「蛇に騙された」と、これまた蛇に責任転嫁。残念に思われた神は、イブに「産みの苦しみと夫からの支配」を、アダムに「一生苦しんで地から食物を取ることと土にかえる」ことを命じた。ここでアダムとイブに与えられた罰が、人類の男女に与えられた「原罪」と呼ばれるものだ。女性に与えられた原罪のひとつである「夫からの支配」で英文では
「Your desire will be for your husband,
and he will rule over you.」
と書かれている。「ルール(rule)」という単語、これ日本語では一般に「規則やきまり」と訳される事が多い。けれども語源は「ライト(right)」と同じ、真っ直ぐなもの、正しいものを意味する言葉で、「ルーラー(ruler)」と言えば「支配者」のことで、この文も「支配」とする。欧米人がよく口にする「これがルールなのだ」という言葉は、この旧約聖書の物語から来ている。意味としては、日本語的な、ただ単なる「ゲームのルール」といったものではなく、語感としては「これが俺がお前を支配するための決まりなのだ」といった感じだ。聖書の「he will rule over you.」も、直訳「彼(夫)は、あなたにとっての支配者となる」で、ここから欧米では「妻は夫に支配されるもの」という概念に至る。
3.洋の東西と問わず、人の心はそうそう変わるものではない。女性にしてみれば「冗談じゃない。どうしてあんたに支配されなきゃなんないのさ」となって、ここから女性の「夫の支配からの離脱」という運動が生まれ、これが発展して「ウーマンリブ運動」に至る。彼らにしてみれば、これが宗教的道徳の原点であるわけだ。日本では、最初の男女であるイザナギ、イザナミは、どちらも神様であって、最初から対等な存在だ。対等ではあっても、違いはある。子を産むことができるのは女性だけの特権で、生命をつなぐためには、どうしても女性は大切な存在。不思議なことに、女性だけでは妊娠することができない。古代の人は、そこに男性の価値を見出す。それが、男性は女性の胎内にある子に「霊(ひ)」を授ける役目があるとする。だからその霊(ひ)を作る器官のことをタマ(魂)と言う。男性はタマで、魂(たま)をつくり、その魂を女性の胎内に注ぎ込むことで、赤ちゃんができる。従って、天照大御神からの直系の霊(ひ)を持つ者だけが、霊(ひ)を受け継ぐ者となる。これが万世一系の天皇が男系でなければならないことの意味だ。つまり「男系天皇論」というのは、実は「男女が対等な存在であることの証(あかし)」である。
4.もし仮に、女性が男性による支配物であるという概念に立つならば、支配される側にある女性が、どこかの誰かとの間で産んだ子が、次の皇位を継承したとしても、女性は単なる被支配物の動産でしかないわけだから、次に誰に皇位を継承させるかは、男性の現職の王に全ての決定権が委ねられる。ということは、前の王が指名しさえすれば王になることができるわけだから、男系でも女系でも、どちらでも構わないことになる。つまり女系天皇(女系王)というのは、女性が被支配物であるという前提に立つ理論ということになる。女系天皇論(もしくは女系天皇容認論)というのは、実は「女性蔑視、女性差別」の論を原点にしていることになる、男女に限らず、人は物ではない。人は、人であることによる尊厳を、男女を問わず認められるべきものだ。もちろん様々な宗教の信仰を否定するものではない。旧約聖書も、世の中の秩序を定めるという意味において、人類史に果たした役割は偉大なもの。そしてルールは人類が社会共同生活を行ううえにおいて、とても重要なこと。「親しき仲にも礼儀あり」と言う。他国の持つ文化の偉大さを理解するだけでなく、我々が日本人であること、そして日本に奥行きの深い文化があることも、同時に確りと学び、生き、後世に伝えていく必要がある。そのことは、我々が日本人としてのアイデンティティを確立するうえで、とても大切なことだ。
5.アイデンティティというのは、よく自己同一性などと訳されるが、それだと意味がよくわからない。日本語で最もニュアンスが近いのは、むしろ「国体」であり「らしさ」だ。日本人のひとりひとりが、胸に日本の国体を刻み、日本人らしく生きようとすることが常識化する。このことこそ、日本の未来を、そして世界の未来を拓く鍵となる。右とか左とか、物事を「ゼロ」か「イチ」かで捉えようとすること自体が誤りだ。それは共産主義的な考え方。世の中には、ゼロとイチ以外に、ニもあればサンもある。また世界征服でもない。日本はそもそも庶民文化の国で、普通の庶民が、豊かに安全に安心して暮らすことができる、歓び溢れた楽しい国を歴史を通じて希求してきた国だ。このことは、万国共通の人の世の幸せであり、こうした発想が必要なことは、もしChinaが世界制覇を実現したら、もしKoreaが世界制覇を実現したらと考えたら、すぐにわかることだ。日本人は、支配されることを嫌う。一寸の虫にも五分の魂があるからだ。吉田松陰の言葉の中にある言葉で、「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。」がある。学び、問うから学問という。師匠の教えをただ覚えるだけなら、それは学びではあっても、学問ではない。そんなものは勉強しても、何のタシにもならない。先人に問い、師に問い、自分に問い、それらを自らの人生の肥やし(肥料)にするから学問だ。
参考文献:
nezu3344.com
アダムに支配されたイブ、対等な関係を築いたイザナギとイザナミ