「光る君へ」第26回「いけにえの姫」6月30日

1.平安時代中期の貴族社会が舞台で、のちに世界最古の女性による小説といわれる「源氏物語」を書き上げた紫式部(まひろ)が主人公となる。脚本を、2006年の「功名が辻」以来、2度目の大河ドラマ執筆となる大石静が手掛け、きらびやかな平安貴族の世界と、懸命に生きて書いて愛した女性の一生を映し出す。

2.第26回では、災害が続く都をまたも大地震が襲った。まひろ(吉高)は、夫となった宣孝(佐々木蔵之介)の財で家を修繕し、生計を立てていた。道長(柄本佑)は、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)から、この天変地異をおさめるためには道長の娘・彰子(見上愛)を入内させるしかないと進言される。心労から体調を崩した一条天皇(塩野瑛久)は、譲位して定子(高畑充希)と暮らしたいと行成(渡辺大知)に相談。それを聞いた道長は何とかすると展開する。

 

3.藤原道長は自分の娘と天皇を結婚させ、天皇の親戚になることで政治的権力を強めていった。歴史学者の関幸彦は「道長の娘を母に持たなかった親王は、本来であれば天皇になれたところ、道長の権勢に対抗できず無念の人生を送ることになった」という。道長が関係した2人の親王たち(敦康親王・敦明親王)の悲劇についておさらいしておく。この両人に共通したのは、ともに道長の娘たちの所生ではなかったことだ。順調に行けば、帝位を約束された親王たちだった。  敦康については、その母は定子である。彼は長保元年(999)に一条天皇第一皇子として誕生した。「長徳の変」での配流先から帰京が許された伊周・隆家にとって、敦康は“期待の星”だった。  敦康誕生と時を同じくして、道長の娘彰子が13歳で一条天皇に入内する。中関白家にとっての暗雲のおとずれだ。定子の死がそれを現実のものとなる。翌年冬に媄子(びし)内親王を出産後に定子は死去する。  母定子を失った敦康は、厳しい環境下で育つことになる。父の一条天皇も定子所生の敦康への期待も大きく、寛弘7年(1010)には元服、帥宮(そちのみや)さらには式部卿として成長していった。

 

 

 

4.一条天皇は「彰子の子」を選んだ  一方、彰子と一条天皇の間に寛弘5年(1008)、敦成親王が誕生する。天皇は定子所生の敦康か、彰子所生の敦成かの選択を迫られる。結果的には道長の権勢をはばかり、敦成を選ぶことになる。  『大鏡』〈道隆伝〉には、敦康親王の周囲にあって唯一ともいえる後見的立場の隆家は、優柔な決断をなした一条天皇に対して、「人非人」と発言するなど、落胆を隠さなかったという。  たしかに、一条天皇も亡き定子が残した敦康への想いは強く、道長の権勢に従う天皇自身も忸怩(じくじ)たる想いがあったはずだ。天皇という立場にありながら、自分の意志を全うできない決断力不足への隆家からの指弾も、それなりの理由があった。以下、

https://news.yahoo.co.jp/.../36ac84c849f6607705e6f77c8153...

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