日本というネイションの重み

1.歴史の重みというのは、こうした社会的価値観にも、つよい影響を与える。社会常識というものは、法で定まるものばかりではない。慣習法という言葉があるように、その社会が長年積み重ねてきた歴史伝統文化の中に定まるのが社会常識だ。だから、日本の常識で米国の選挙をとやかくいうこと自体に無理がある。その日本について、8月革命説と言って、日本は昭和27年に建国された、歴史の浅い国だとする説がある。東大名誉教授で憲法学者の宮沢俊義氏が説いた説だが、ここに大きな勘違いがある。戦前戦中までの大日本帝国は戦後に日本国となり、憲法も大日本帝国憲法から日本国憲法に変わった。だがその変化は、日本の中の政治体制が代わったに過ぎない。政治体制としてみたときの国家のことを、英語で「ステイト」と言う。その意味では、明治日本は薩長ステイトだったし、江戸日本は徳川ステイト、鎌倉時代は、鎌倉ステイトの時代であったとなる。

 

2.けれど、鎌倉、室町、織豊、徳川、薩長、戦後のGHQ支配と政治体制が替わっても、日本は相変わらず日本だ。この場合の日本のことを、英語では「ネイション」と呼ぶ。「ネイション」とは歴史伝統文化をひとつにする集団としての国家を意味する言葉だ。つまり8月革命説というのは、単に日本の政治体制の変化のことを指しているに過ぎない。日本というネイションは、縄文以来、ずっと続いている。どのくらい続いているかといえば、考古学的に判明している始期は、今から3万8千年前に遡る。4千年、5千年といったレベルではない。3万8千年の間に、日本は天然の災害から人々の争いまで、様々な経験をしてきて、そうした中にあって「これだけは大切だ」というものが、長い歴史の洗礼を浴びて生き残り、それが日本文化となっている。

 

3.だから日本には、ネイションとしての、深く重い文化がある。その文化こそ、騙される人と騙す人がいたなら、騙す方が悪いと考え、誰も見ていなくてもお天道様が見ていらっしゃると考える日本文化になっている。何故そのような文化になったのか。それは国家として大切な根本に、私たちの祖先が「愛と喜びと幸せと美しさ」が大切だと気づき、それを日本の文化にまで高めてくれたからだ。新約聖書に次の言葉がある。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」。古代ローマの歴史家のキケロの言葉「あらゆる人間愛の中で、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは祖国への愛である」。愛と喜びと幸せと美しさ。そうしたものを大切にして生きることができる社会を生むために、今いちど日本文化の根底にある「歓び溢れる楽しい国」を見直すべきときに来ている。