新刊「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)

1.戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手はどう人生を逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁らのサバイバルを追った書。「野茂英雄と近鉄バファローズ」によると、近鉄の投手コーチで野茂の理解者だった佐藤道郎は、年が明けた1995年1月5日頃、前田泰男球団代表から電話があり、野茂サイドと7日に名古屋で会うから同席してくれと依頼されたという。佐藤は南海時代、野村克也の家で高校生の団野村と面識もあった。交渉の席上で近鉄側は総額1億円近い出来高契約を提示するも、それらには目もくれず「メジャーへ行かせてください」と主張する野茂。話は平行線を辿り、意見を求められた佐藤は「代表、天下の近鉄なんだから、バンザイして(メジャーに)行かせてあげましょうよ!」と思い切って発言する。これを受け、前田代表も「俺も微力ながら努力するよ!」とメジャー挑戦を容認するのだ。

 

2.そして、1995年1月9日、野茂は任意引退と大リーグ入りの決意を記者会見で語るのである。「俺がメジャー行くときの契約交渉なんて、『もう辞めてくれ』と言われたからね(笑)。『じゃあ、辞める』と言ったら、『ああ、どうぞ。じゃあこれ、任意引退証』。辞めてくれてラッキー、みたいな感じや」(「Number」594号)。真実はひとつだが、事実はどちらのサイドから見るかで大きく変わる。のちに野茂自身は当時の裏側をそう語り、『NHKスペシャル 平成史スクープドキュメント』「大リーガーNOMO~“トルネード”・日米の衝撃~」では、一回目の契約交渉前に任意引退になっていたことを明かし、「任意引退になればメジャーに行けるよということだったので、実際それがすぐそんな簡単にとれるか、近鉄がそこまで簡単に辞めさせてくれるかなと思っていたんですけど」と告白している。彼は己の野球人生を懸け、断固たる決意で球団と対峙していたのだ。

 

3.男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない――。

2月13日、ロサンゼルス・ドジャースの入団会見に臨んだ野茂は、メジャー未経験者としては過去最高の契約金200万ドル(約1億7000万円)と最低保障年俸の980万円での挑戦となった。前年から続く長期ストライキが終わったのは4月2日で、開幕が例年より1カ月遅れたが、これにより肩の故障で実戦から遠ざかっていた野茂はキャンプ地のベロビーチでじっくり調整することができたという。

5月2日のジャイアンツ戦での歴史的な初先発後、打線の援護に恵まれず初勝利まで1カ月かかったが、そこから連続完封を含む6連勝。6月14日のパイレーツ戦では16奪三振を記録した。地元ロサンゼルスで「NOMOマニア」と呼ばれる熱狂的ファンを生み、オールスター戦にも先発登板。ルーキーイヤーに13勝を挙げ、リーグトップの236奪三振を記録して新人王に輝いた。過去の日本人大リーガーにはマッシー村上というパイオニアはいたが、まだ27歳の全盛期の“日本のエース”が遠くアメリカの強打者たちをフォークボールで三振に斬って取るインパクトは凄まじいものがあった。以下、「どうせメジャーでは通用せん」批判も…近鉄も予想外だった、野茂英雄26歳の“任意引退”「1億4000万円を捨て、年俸980万円を選んだ男」―2024上半期 BEST5(中溝康隆)

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