「紫式部のすごさとは」“本物の『源氏物語』”

1.1000年以上前に紫式部が書いた小説『源氏物語』を、読み通した人は多くはない。作家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)が、式部を主人公にした小説を書いた。作中作として、帚木による現代語訳『源氏物語』が埋め込まれている「一粒で二度おいしい」小説だ。RKB毎日放送が帚木宅を訪ねてインタビューした。大河ドラマ『光る君へ』は紫式部が主人公。 帚木蓬生が小説『香子(かおるこ)紫式部物語』(PHP研究所)を出した。まもなく最終5巻が刊行。 帚木による『源氏物語』の現代語訳が「作中作」、紫式部が書いていく作品として組み込まれている。紫式部が主人公の小説と、『源氏物語』の現代語訳が二重の構造になっていて両方が読める「一粒で二度おいしい」小説。

2.帚木は福岡県小郡市生まれの77歳。精神科の開業医のかたわら、ベストセラー小説を連発してきた。昨年、医師を引退して執筆に専念。 帚木蓬生、作家、元精神科医。 福岡県小郡市出身、東大文学部を出て、TBSに勤務したが2年で退職。九大医学部に入り直して、開業医のかたわら、ベストセラー小説を連発。主な作品に『三たびの海峡』、『閉鎖病棟』、『逃亡』、『水神』、『蠅の帝国』、『蛍の航跡』、『日御子』、『守教』、『国銅』、『風花病棟』、『天に星地に花』、『受難』、『悲素』、『襲来』、『花散る里の病棟』など。 『源氏物語』は平安貴族の恋と人生を描いた小説。古文の教科書で読んでも難しく、谷崎潤一郎や円地文子、瀬戸内寂聴さなど、いろいろな作家が出した現代語訳を手に取っえも、ほぼ挫折。

3.「帚木」も「蓬生」も『源氏物語』の章のタイトルから借用してペンネームにしたほどの『源氏物語』好きです。今回、なぜ源氏をテーマにしたのか、聞いてみました。 帚木:12~13年前、編集者から「源氏物語について書いてください」と(言われました)。 その時はミステリーでという話でした。私はミステリー作家でしたから。 「うわー、源氏ですか」と言ったら、「帚木さんは、ペンネームをそこから採られているでしょう。責任がございませんか?」と。「責任?これはまいったな、責任かー」と。 だんだん後から効いてきましてね。コロナが始まる前ごろから、「そうか、やっぱり書いておかないと…」と思って書き始めた時、単なる紫式部の物語というより、「紫式部がどうやって源氏物語を書いたのか」を書こうと思ったんです。これは誰も手を付けてない。 帚木:谷崎(潤一郎)とか円地(文子)の(現代語訳が書かれた)時は、紫式部に関する学問的な研究が進んでないです。それ以降いっぱい進んでいますからね。女房の世界はこうだったとか、紫式部の愛人はこうだったとか、1回か2回結婚したのはこうだったろうとか、越前に行ったとか、どんどん出てきていますから「今こそ、私が書ける時代だな」と思いましたね。時代的によかったと思いますよ。前の世代の作家よりは。 原文を、現代人にもわかりやすく書く。これが現代語訳の意味でしょう。 一章を書き終わった紫式部が「今回は、出来があまり良くなかったな」と言ったり、その章を筆写する仲間の女性たちと意見交換をしたり、そんなシーンが小説に入ってくるので『源氏物語』本文の中身がすっと頭に入ってきます。

帚木さんは、『源氏物語』は1000年も前の小説なのに重層的な構造になっている、と解説しています。 帚木:(現代語訳は)原文をデフォルメ、変えて面白くおかしくした作家ばかりですよ。谷崎(潤一郎)も円地(文子)もそうだし、与謝野(晶子)も田辺(聖子)、(瀬戸内)寂聴にしても。私は、それは冒とくだと思います。有名な作家たちの『源氏物語』は、和歌や漢文を入れていないんです。物語ですーっと行っていますけどね、これは悪いですよ。紫式部の『源氏物語』を壊していますから。だから、「和歌をピシッと入れよう」と私は思ったんですね。 帚木:紫式部はものすごい人物の描き方をしているんですね。 1人の人物を出すでしょう?人物は、心の中であれこれ考えるんですね。優柔不断と言えば優柔不断です。「Aでもない、Bでもない、Cでもない」と。 それで、発言しますね。発言には大体ウソが多いですよ。 しかし、本音は、和歌にしているんです。ビシ―ッと。 神戸:3層の構造になっている? 帚木:なっているんです。それで人物に深みが出ているんです。3層構造の人物描写というのは、日大の(林真理子)理事長でもできないでしょうね。 神戸:「心のうち」をまず文章に書いていて、それが発言として言葉に出てきた時は少し表面的なものに。 帚木:そう、嘘が混じっていたり。 神戸:ところが、和歌になると本音が出てくる。 帚木:「悲しんでおります」とか。その手腕たるや…。和歌を入れないとそれは出てきませんから、ちゃんと入れているんです。

4.神戸:和歌を紹介したところで「これはこういう哀愁で」と書かれていますよね。 帚木:そうそう。「という慨嘆で」「悲嘆で」と。 神戸:あれで、意味づけがはっきりわかるんです。 帚木:ちょっと工夫しました。「何々の意味である」と説明したら、ばかみたいになる。「何々という悲嘆」だと。 ご自宅でインタビューしたんですが、とても面白くて。和歌は僕らには難しいものと思っていたのですが、帚木さんがきちんと「この和歌はこういう悲歎で」と補足的に書き加えています。和歌を削ってしまうのではなく、説明をちゃんとして書くので、腑に落ちます。 さらに、紫式部のパートに戻ると、この章全体がどんな意味だったのか、ということがわかってきます。 そして、式部の人生に何かの動きがあった時「では源氏の続きを書こう」と物語がリンクしていくのです。

私はこの小説を読んで、初めて『源氏物語』の全体像がわかってきた気がしました。帚木さんは「源氏物語は女性の物語だ」と語っています。 帚木:『源氏物語』は、光源氏が主人公じゃないです。女性ですよ。女人。重要人物が25人出てきますけど、原稿用紙2500枚ぐらいの中で全部描き分けているんです。こんな芸当、できないですよ。3人ぐらいは描き分けられますけど、25人を散らばせて描き分けるという、この手腕。ここに眼目があったと思いますよ。 神戸:女性の様々な生き方を、書く。 帚木:そう!哀れさを伴った生き方をしている女人に、紫式部の同情があったと思います。 神戸:それは、目の前にいる人たちを見ているからですよね。女房として貴族階級の中にいて、仕える側として見ている。 帚木:主人に仕えなきゃいけないし。 神戸:主人たちにも、お妃さんなどいろいろな方がいらっしゃるけれども、人生の浮き沈みがありますよね。 帚木:あります。それをよく見ていたんじゃないでしょうかね。それをピシッとはめ込んでいったんじゃないでしょうか。それは、すごい手腕だと思いますよ。 神戸:そういう小説は、それ以前にはありえないですね。 帚木:ありえない。 神戸:その後も… 帚木:ないですよ。紫式部は特に、漢文の素養がすごいですから、NHKの(ドラマで描かれるような)町娘のチャラチャラしたのとは全く違う人物ですから。恥ずかしいですよ、あれは。私の小説の発刊に合わせて大河ドラマを作ったのはわかりますけどね(笑)それはありがたいですけど。実際の王朝がどんなふうだったのか。紫式部という女性が見ていたのはどんな世界だったのか。かなりリアルに伝わってきます。「源氏物語って、こんなすごい小説だったんだな」と思いました。