こんにちは。

 

劇場版ウマ娘は公開二日目。二回見てきました。できれば前の席と後ろの席とで二回見たかったのですが、二回とも前の方の席で見ました。

 

 

一回目の鑑賞と二回目の鑑賞の間に競馬場にも行きまして、ダービーの馬券やら新しいグッズやらを仕入れたせいで諭吉が束になって飛んでいきました。馬券当たれば帰ってきてくれるんですけどね。

 

それはそうと、映画の感想編です。正直、映画を二回見る体力は私にはあまりないので、くたくたに疲れました。先々週はRTTTを二回見ようとしたけど一回観て体力が底をついたので断念。それほどまでにストーリーが濃いことの裏返しでもあるんですけどね。

 

今回はできるだけ体調を整えていったんですが、やはり情報の洪水でとてもじゃないけど全貌を捉えきれませんでした。細部の記憶が正確ではない部分も多いでしょうが、ご了承ください。

 

!注意!ネタバレ100%です!

 

 

  現実は得てして複合的なものさ

 

もうなんか、言葉が出ない。これがクソデカ感情というものか。言語化が難しい。01世代というピックからして色々語りたいことがある。

 

ものすごく濃厚な108分でした。まさに大河ドラマ。繰り返し見たいポイントたくさんあります。円盤やら配信やらはいつになることやら。

 

どこから切り込んでいいものやら。とりあえず映画終わってからめちゃくちゃスマホのメモに備忘録残したので、それを見ながら感想を紡いでいきます。

 

一番最初に書いていたのはタキオンの無期限活動休止に荒れるポッケに向けたタナベトレーナーのセリフ。

 

「誰だって怪我なんてしたくない、させたくもない、けれど襲い掛かる運命を受け入れ立ち向かっていくしかない」(記憶曖昧なので細部不正確)

 

この場面で柱の後ろにいるフジ先輩が座り込んでしまいます。だれですかこの演出考えたやつ。というか、全般にわたって細部まで意識した作り込みがとんでもない。登場キャラ数も大開放されてしまって、本当に情報の暴力以外の何物でもない。何回見ればええねん。フランスパン食べるミークは確認できました。いよいよゲームのオリキャラにも思い入れが出てきているあたり、沼の底に沈んでいることを自覚させられます。

 

「幻の三冠ウマ娘」と称される二人を、ジャンポケの周囲で交差させたのが非常に面白かったですね。ウマ娘というコンテンツにおける最大の強みを「IF」だととらえている私からしてみれば、まさにタキオンやフジはうってつけの材料です。この「IF」の強みについてはNumber1096号(ウマ娘コラボ第2弾)の「『ウマ娘』で楽しむダービーの"if"」に詳しいので、ぜひご一読を。

 

ダービー後にジャンポケが精神的問題を抱えた際、音に敏感になっていたり、何かを示唆するような風景描写が入っていたりしていました。射的の音、ラムネを開ける音、自販機の音に再三ビクッとなるあたりは視野が狭くなりすぎていることを間接的に表現しています。また、夏祭りのシーンで切れかけた提灯、敗れてしまう金魚すくいのポイ、売れ残ったお面、木に隠された花火などがワンカット入るのは、どこか不安定さ、ないしは不完全性というテーマを想起させます。

 

私が好きなドゥラメンテもよっぽど最後の筆を入れ忘れまくった絵画の如くIFが語れる馬ですが、IFが語れる馬というのは言い方を変えれば不完全燃焼に見えた馬、もっと素晴らしい記録が残せたはずなのにと無念が残る馬です。フジ先輩とタキオンのことを話すときに不完全性を示すワンカットが何個か入るのは明らかに意図をもってのことでしょう。

 

とか言いつつ深読みしすぎかもしれませんが、深読みしてもしきれないような重厚なストーリー構成を映画どころがゲームでも仕上げてくる制作陣が悪い。ウマ娘の創作物は軒並み深読みせざるをえない。それが楽しみの一つでもあります。

 

今回の深読みポイントの一つにジャングルポケットがいつも身に着けているプリズムがあります。タキオンの研究室にももう一つ吊られていますが、それが表しているシンボルないしアレゴリーはなんなのか。少なくとも、綺麗だから、なんかカッコいいから、という理由だけで登場しているアイテムとは思えません。制作陣はこの石にどんな意味をこめたのか。

 

私はとりあえず二回見た限りでは「現実は複合的である」「個々の可能性は無限に広がっている」というメッセージであると受け取りました。無数の虚像を映し、七色に光を分散させるという機能を受けたものであると。

 

メインキャラ四人を四色の光で描くシーンや、旧理科準備室のマンハッタンカフェスペースにかかっている黒字に虹色の光が重なり合いながら分散していく抽象画もその示唆かもしれません。ジャパンカップ前のジャンポケとタキオンが久しぶりに対面するシーンにて、プリズムの光は異様なほどに描かれ、さらに話している二人の様子はビーカーや試験管に映されたものだったりします。明らかに光や像を意識した演出にちがいありません。そういえば、二人が話した後、タキオンが横切るときには壁の絵が星座になっていたような気がするんですけど、あれは何座なんでしょう。星座の知識がなくて悔しい。

 

なんか絵作りが物語シリーズ味あるなと思っていたらシャフトの人が作画に関わっていたりしたし、なんか関係あったりするのかな?音響監督鶴岡さんでニヤニヤしたりはしましたけど。

 

ネガティブな出来事や感情は赤色で統一されていましたね。タキオンの無期限活動休止発表会見はカフェシナリオの筋をなぞるものでしたが、あんなに赤を強調されて映像化されるといかに衝撃的な物かがひしひしと伝わってきます。個人的には、ダンツフレームがタキオンに向けて絞り出すようにセリフを紡ぐのが良かった。細部があやふやなのでセリフを言及することはできませんが、持たざる者が持つ者にむけて歯を食いしばりながら言葉を絞り出す様子は何とも言い難い。

 

ダンツフレームを実装したのは大成功でしたね。やはり世代を描くにあたっていてほしい脇役というのはいるわけで、ダンツフレームが居なければこの映画の魅力は幾分か落ちていたことは違いありません。後に宝塚記念を制するので幾分か救いもありますし。返す返すも、01世代が引退後に種牡馬としてもう一花咲かせたなかで、引退後すぐに急死してしまったのは惜しい。そんなところにまで思いが至ってしまう。

 

ペリースチームさんも触れづらいわりに存在感あってよかったですね。この方は紛れもなく世代の主役と見て良いでしょうけど。

 

史実実況もほぼまんまだったなあ。パンフレットに少し書いてありましたけど、ちゃんと変えないように意識をされているとのことで、素晴らしい。物語の中でオペラオーと呼ばれていようと、やっぱりあの有馬を表すには「テイエム来たっ!テイエム来たっ!」でないと。タキオンと呼ばれていようと、やっぱりあの皐月を表すには「アグネス、アグネス、大丈夫!」でないと。

 

思えば、タキオン周りの作劇はやはりThe WinnerのCMから着想を得ている部分が大きいのかなと。「ライバルたちを絶望させ」のくだりを極限まで広げた結果こうなったんんだろうなと。

 

いやしかし、ゲームにおけるタキオンシナリオとカフェシナリオを履修していると、今回はいわゆる「プランB」にあたるわけで。代替品で構わないと語るタキオンを耳を絞って睨みつけるカフェ。レース映像を脚を動かしながら食い入るように分析するタキオンにむけて呆れたような表情を見せるカフェ。カフェからしてみれば、タキオンがのちに後悔することがわかっていたんでしょう。自分の世界に土足で入り込まれ、オトモダチに肉薄したタキオンが他人任せで研究を進めたのが単純に気に入らないのもあったんでしょうが。

 

いやしかし、カフェシナリオでタキオンが自らの過ちに気が付くシーンも胸が締め付けられますが、今回はさすがに劇場版。何倍もマシマシでした。これまたパンフレットで少し触れられているのがタキオンの瞬き。詳細知りたければパンフレット勝ってくださいという話ですが、私はジャパンカップでジャンポケと目が合ったシーンで一回瞬きをしたのが確認できました。納得のタイミングですね。

 

映画のタイトルロゴが最後に出てきたのも素晴らしかった。まさに2001年の下半期をもって一時代が終わったわけで、NEW GATEが開くタイミングはまさにあそこがふさわしい。

 

ダメだ、この調子で言っていたらいつまでたっても終わらない。ダービーの展望も書きたいので、とりあえずこのあたりにしておきましょう。

 

まとまってもないですし、ただ自分が考察したことを書き散らしたいだけだったので、また改めてライトな感想を書くかもです。こんなもん書きたいこと多すぎてまとまるはずがない。どうせあと何回か見るし。最初のフジキセキの弥生賞のシーンで歴代皐月賞ウマ娘のポスターがあるので、そこは一時停止してみたい。無理か。

 

今からダービー展望を書きます。マーケティングの巧いこと上手いこと。

 

それではまた。