台風14号は宮崎県に大きな被害をもたらしました。竹田市でも人的被害はなかったものの、土砂崩れや風でのハウス被害などがあるようです。被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。
その台風が迫る17日に「荒城の月」原曲を学ぶ講演会が開かれました。講師は声楽家の新見順平先生でした。
前後半に分けて、前半は荒城の月の解説とモチーフになったとされる城の紹介でした。
作詞は土井晩翠が1898年に東京音楽学校からの依頼にて
作曲は1901年に瀧廉太郎が旧制中学校の懸賞応募作品として 他に「豊太閤」、「箱根八里」が入選
音階の解説では日本では雅楽の音階が中心であったのに対して、瀧廉太郎は本格的な西洋の音階を日本に持ち込んだそうです。この辺りに類い稀な才能があったと評価されていました。
荒城の月のモデルとされるお城では…
我が竹田市と仙台市は荒城の月がご縁で姉妹都市となっていますのでとても興味深いお話でした。
作詞の土井晩翠と作曲の瀧廉太郎それぞれモデルとされるお城があり、その数なんと合計で6か所!
仙台の青葉城と竹田の岡城だけではありません!
岡城址(大分県竹田市)・・・瀧の部屋から見えていた。遊び場所。
府内城(大分県大分市)・・・瀧が小学4年から住んだ大分郡官舎の真横にある。
富山城址(富山県富山市)・・・瀧が小学1〜3年時に住んでいた。
青葉城(宮城県仙台市)・・・土井の故郷 千代は伊達政宗が仙台と改名した。
九戸城(岩手県二戸市)・・・土井が度々訪れた。「雁」は渡り鳥。秋陣営の「霜の色」はここからか?
会津若松城(福島県会津若松市)・・・土井がなんとここがモチーフですと言ってしまったとか…
作詞作曲とも今でははっきりしたことは言えませんと強調していました!
後半はいよいよ2つの荒城の月の演奏です。
1つは瀧廉太郎作曲の原曲
もう1つは山田耕作が1917年にピアノ伴奏付きにした編曲 8分音符から4分音符へ倍の長さに
全国的にお馴染みなのは編曲の方なんですかね?
↓新見先生の独唱
ためが効くようにゆっくりなテンポにしたそうです。
原曲 竹田に住んでいる私的にはこっちの方がお馴染みかなぁ↓会場の皆さんで合唱
新見先生は竹田の人が原曲を歌い継ぐことの大切さを説かれ、主催者の謝辞では荒城の月を学ぶことは竹田のまちを大切にすることになり、この曲を大切にしていきたいと返しました。
私も大切にしていきます!