人の欲とか。。。

というか私の傲慢さ・・・

それにトホホです。

 

今まで多分、結構、紆余曲折あった人生だと思います。

私の人生。

お葬式に出た回数は年の割には多い方

なぜか、そういう喪の儀式には強い方。

二十歳で病気になり死の宣告。

その後、元気に回復しましたが

死に近い人生なのです。

だからなのか、人に対しての関わり方が、お節介気味。

深く関わろうとしてしまう。この先何が起きても後悔しないように。と思っているのかもしれません。

 

そんな私を知ってか知らずか、私の周りにはとても寛大な方がたくさんいらして。

いつも、困った時や、そうじゃない時も予想以上に有り余る手助けをしてくださる。

本当にありがたくて、いつも何かお礼をしたいと思っているのですが、甘えてばかりで何も返せていない、のが現状。

 

私が受けてきた有り余る恩恵は次の他の誰かへ

そう思っているのですが、頼まれごとが多いと、

「ああああ、もうイヤーーー」と思ってしまう、心狭き情けない私です。

 

どうしたらいいんだろう。

あんなに良くしてもらったのに

こんな時あの人ならどうしてるだろう

そんな呪縛にいつもがんじがらめ。

 

自分のやるべきことと、今気づいてやりたくなったこととの優先順位が判断できない。

 

→イライラする

→結局何もできてない

→ぐちゃぐちゃ

 

いま、実は新しい試みに向かっているところです。

どこまでできるか未知の世界なのでどうにも虚勢もはれず、縮こまっている日々

 

やるべきことは明確なのにできないでいる

 

そんな時この顔に出会いました

これは側面

 

 

「ちっちゃいね〜あんんた」

と言われているような

「もうちょっと自分を信じてみなさいよ」

とも言われているような。。。

 

長野の茅野市尖石縄文考古館での出会いです。

私をみてくれている感じがしました。

 

縄文のことはなんとなく素敵だな。

とは思っていましたが、

今回、

この考古館で「はっ」としました。

 

私が目指しているところはここかもしれない。

と。

 

道具を作って

自然に敬意を払って

季節を食し

身を守るため衣服を纏う

 

もちろん全てを一人ではできません

 

でも、人に助けを乞い与えられ、逆のことも行えば

誰にも真似のできない気のこもった何かかが作り出せるのかもしれない。

 

自分のちっぽけなルールに縛られて身動きできない私

それを認めてルールをもう少しおおらかにしていけたら、

人にも自分にももう少し寛容になれるのではないだろうか。

 

人に何度もすがる事を恐れず、人に頼られた時に完璧に応えられなくても落ち込まない私になりたい。

 

だから、今回だいぶんすがりついてます。

何度もしつこくお願いばかりしている皆様。ご迷惑をおかけしてすみません。

でも、お願いしている方が皆様、快く協力してくださってることに心から感謝しています。

 

多分

やりたい。できるかも。

と思った事を貫くことが恩返しなのかもしれない。

 

もう少しだけ自分を信じてみます。

 

 

次回はちゃんとお知らせします

 

 

今後もどうぞよろしくお願いいたします。