1994年、六本木・バ―ドランド。
六本木・スクエアビル、あの、キラキラと光る、「黄色いエレべ―タ―」で、B2Fへ。
(東宝映画・"バブルへGO!タイ厶マシンはドラ厶式"広末涼子・主演. 2007. 参照)。
毎週木曜の夜、開演を控えて、松本英彦(ts)先生が、そのテナ―サックスのチェックを終え、落ち着いたタイミングを見計らって、私は何時も、先生に、「甘いコ―ヒ―」を、お出ししていた。
三ツ矢サイダ―、ポカリスエットと共に、松本先生は、コ―ヒ―も、お好きであった。
それも、相当、甘めの。
佳子夫人から、「松本さんは、甘めのがお好きよ。」と伺っていた私が、気を付けてお出しした、最初の、一杯。…すると、
「甘くない…!」。ただちに、お砂糖を、追加!。
また別の日には、
「いくらなんでも、甘すぎる…!」
今度は、入れ直し!。
そのコ―ヒ―の、望ましい雰囲気は、自動販売機でよく見かける、
"MAX COFFEE"、あれを、もう少しビタ―にした感じと、言えば良いのだろうか。
その調合・加減は、私には、とにかく難しく、
「うむ、…。」と、何も言われなかった日には、ホッと、胸をなでおろしたものだ。
夏の暑い日は、若干薄めにしたり、セットの途中、お疲れの様子なら、やや甘めにしてみたりと、私なりに、試行錯誤していたのである。
先生の、低血糖を補うという意味もあった、あの「甘いコ―ヒ―」。
私にとっては、「付き人」という仕事の、難しさに、最初に直面した出来事でもあった。
佳子夫人からは、
「言われてから、動き出すようでは、ダメ!」
「人の気持ちが、わからないようでは、いい演奏は出来ない!」
そんな言葉で、日々、教えていただいていたことを、今も、覚えている。
コ―ヒ―・タイ厶、2nd.Set.の後は、店の"まかない"、食事の時間である。
松本先生の御膳は、決まって、お味噌汁、お新香、煮物などがついた、「お刺身定食」!。
御歳暮など、各地の皆様から届いていた、牛肉も大好きなら、お刺身にも、目のない方であった。
1990年代当時、(今では、想像しにくいが)、コンサ―ト・ホ―ルの公演などで、出演者をはじめ、スタッフ・関係者全員に配られていた、「同じお弁当」は、今で言えば、およそ3千円に近いものであった。
そのステ―ジに関わる全員で、同じく、美味しいお弁当をいただき、それぞれの立場で、より良い仕事を目指してほしいという、古き佳き芸能界の習慣が、ジャズの現場にも、まだ色濃く残っていた。
そんなこともあってなのか、松本先生は、「サックスの演奏」についても、しばしば、料理に例えながら、話しておられた。曰く、
「いい演奏というのは、"美味い料理"のようなものだ。同じ材料で、同じように作っているようでも、何か、が違う。その、何か違う"美味さ"は、一度食べたら、もう、無かったことには、ならない。!」。
まさしくそのとおり、あの日々に聴いた、松本先生の、星空や宇宙を思わせる様な、テナ―サックスの響きが、わたしの脳裏から消えることはなく、幸い、その後も、諦めず練習を続けることが、出来ていた。
もしも、あの日、先生に拾っていただくことが無かったら、私の人生は、どうなっていたか。
それを思えば、何としても、「美味い料理」を、作れるようになるしかない。
松本英彦先生が、その生涯をかけて、培われた技術、「テナーサックス・ショ―トネック奏法」。
世界の、サックスの常識から言って、どう考えても、出来るとは思えない。
2015年、それでも私が、「ショ―トネック奏法」に踏み切ったことには、そんな理由が、あった。
2025.5月.記、
松本英彦(ts)先生より直伝の、
「テナ―サックス・ショ―トネック奏法」…詳細・情報は〜
Facebookグループ
The TENOR SAX Club
にて公開中。
「前・後篇」が、ございますので、
通読には、"新しいアクティビティ"をタップして、御覧くださいませ。 2025.
