1994年秋、東京銀座・三越劇場。まさに、"秋晴れ”と言うにふさわしい、晴天のその日の朝、地下鉄を乗り継ぎ、私は上京してはじめて、銀座へと足を踏み入れていた。

 

 右も左も分からぬまま、なんとかその劇場を見つけると、裏へ周って「楽屋・搬入口」へと向かう。…

 

 朝、7時15分、最初に現れたのは、ライト・グレ―のス―ツ姿、実に立派な口髭をたくわえた、「ジョ―ジ・川口(ds)氏」。!  

 

〜戦後、中国大陸から東京へ引き揚げるやいなや、演奏活動を開始、やがて、松本英彦(ts)氏、中村八大(p)氏、小野満(b)氏と「ビッグ・フォ―」を結成(1953)、「日劇」(日本劇場)を中心に、いわゆる"戦後ジャズブ―厶"を牽引した、あの、"嵐を呼ぶ男”ことジョ―ジ川口(ds)氏(1927〜2003)である。〜 

 

     実際にお会いするのは、その時がはじめてだったのだが、その印象は、まるで明治の元勲のような…、昔の紙幣の中の人物が、突然、眼の前に現れたような、驚きであった。

そして、これから現場へ向かうミュージシャンに特有の、静かな緊張感をたたえた、その貫禄。! 私は、ただ一瞬で、感慨さえおぼえていた。…

 

 

 午前中に、リハ―サルが終わり、午後からの開演を前にした、松本英彦(ts)先生の楽屋…。私は、ひととおりの用事を終えると、お邪魔にならないように、部屋を出て、ドアの横に控えていた。

 やがて、楽屋の中から、テナー・サックスの、流れるようなフレ―ズ、そして強烈な低音が、こちらまで響いて来た。!

 「松本さん、凄い音を出すなぁ!」と、その場にいたスタッフ達は、顔を見合わせている。…この三越劇場の公演に対する、先生の気迫・情熱が、その音の端々からあふれてくるようであった。

 

 

 そんな中、楽屋前の「たまり」に、緊張・恐縮した面持ちで、ある御婦人がいらっしゃった。

 「松本英彦さんに、御挨拶したいのですが…。」と。…その手には、1枚の写真があった。

 穏やかながら、やや差し迫った、そのたたずまいを見て、私は、「きっと、特に縁の深いファンの方…、失礼のないように」と、急いで楽屋のドアをノックし、その旨を取り次いで差し上げると、間もなく、松本先生が、出て来られた。…

 

 「あぁ、!松本英彦さん!」 すると、御婦人は、堰を切ったように、長年のファンであった、闘病中の御主人が、「なんとしても、この公演を見たい」と、心待ちにされていた事、しかし、間にあわず、先日亡くなられた事を、切々と、語りはじめる。…

 御婦人から受け取った、その1枚の写真を手に、お話を聞きながら、先生は、時折さみしく眼を細め、「そうでしたか、…。そうか…。」と、何度も、何度も、その写真を、優しくなでておられた。…

 

 

 やがて、開演。♪Loverや、♪私の青空など…、いつもの元気いっぱいのジャズに続いて、その日演奏された、♪シェルブ―ルの雨傘…。誰もが耳にしたことのある、悲しみと情感に満ちたそのメロディ―は、私には確かに、先ほどの故人への、レクイエムのように、聴こえていた。…

 

 芸能・音楽において、「一期一会」は、しばしば目に、耳にする言葉ながら、毎年1回であれ、毎月1回であれ、繰り返される公演の中で、そのたった1回が、場合によって、人によっては、どれほどの「重さ」を持つものか…。この日の出来事と、あの時の松本先生の姿は、30年が過ぎた今も、はっきりと私の記憶の中に残り続けている。

 

      2026.5月. 記。