コマーシャルやプロモーションにおいて、

「最先端」というフレーズが使われることがある。

最先端と聞くと、それは科学の進歩の先端を行くものであり、無批判に優れたものだという認識を持ちそうになる。


しかし、そこで一歩立ち止まって考え直してみると、最先端とは必ずしも優れたもの・確かなものであることを保証しないのではないかと思われる。


そもそも、科学とは確かであることを保証できるものではなく、ある根拠の上に成り立つ最も確からしいものくらいの認識にとどめておくほうが安全だろう。

本当にそれが確かであることを保証するならば、

そのためには時間をかけた検証等により、想定外やロジックエラーがないことを確かめて行くことが必要になる。


事実、かつて最先端であった技術や発明などが、

その後に重大な反作用・副作用が発覚したという

事例もある。


その意味で、最先端とは、科学の保証する最も優れたものというよりは、科学が保証し切れない未検証の不確実性を孕むものだと言えるだろう。


それゆえ、無批判に最先端科学を称賛することには慎重になり、しばらく様子を見るという態度が望ましいと思われる。


これは自然科学に関する場合だけでなく、

社会科学等と呼ばれるような分野についても

同様である。


最新の政策理論や学説を取り入れれば、

それでよい政治や経営ができるとは限らない。

それよりはむしろ、歴史的に蓄積・実証された先人の知恵を含む教訓や格言等の方にこそ、真に有益で確実性の高いものが多いのかもしれない。



組織風土やカルチャーといった要素が個人のモラルにどのような影響を受けるのかについて考察してみたい。


組織の風土やカルチャーが、その組織のメンバーのモラルに与える影響としては以下の要素が考えられる。

まずはこれらの要素の特徴を明らかにし、その後、これらの要素をどのように活用すれば、組織や共同体のモラル向上につなげられるのかという点を考えてみる。


①模範の存在

かつて「武士は国民の師表」と言われたように、組織や共同体のモラルを代表する個人や階層の存在は、その組織・共同体の風土やカルチャーに大きな影響を与える。

例えば、武士が体現する武士道のようなモラルが、人々の一般的な意識における、一つの目指すべき理想として共有される。

尚、模範として影響力を発揮するためには、その模範たるべき人々が、世間一般から目指すべき存在として、その価値を認められている必要がある。


②見られている意識

世間様という言葉があるが、「見られている」

という意識は、人々の行動にある種の制約を与える。

わかりやすい例で言えば、ある学校の制服を着ることで、その学校の生徒として見られているという意識が働き、その学校の生徒に相応しいと考えられている振る舞いを取るようになる。


③代表意識

「家名を汚す」「看板に泥を塗る」という言葉があるが、ある組織を代表している意識を持つことも、個人の行動を制約する作用を持つ。

この代表意識は、その個人によって代表される集団の評判や名声が高いほど、その個人に対する影響力もより強いものとなる。

不良生徒ばかりと悪評高い学校の生徒であることと、伝統ある名門校とでは、その組織の一員である意識が個人に与える感化の質に天地の差があることは明らかである。

代表意識とは、どのような組織・集団においても生じるものではなく、その組織を代表することにある種の「重み」を感じられることが必要なのだろう。


▪️組織・集団のモラルを高めるには?

以上、個人のモラルに影響を与える要素として、

・模範の存在

・見られている意識

・代表意識

の3点を検討したが、

これらの要素が個人のモラルに影響する要因については、端的に「敬」と「恥」という概念に整理することができるだろう。


人間学の泰斗である安岡正篤氏の著作の中に、
「より高きもの、より貴きものを求めるという心が「敬」であります。そうすると相対性原理によって、みずから省みて必ず恥ずるという心が湧いてくる。」
という一節があるが、

組織のリーダー層、あるいは組織そのものが、その組織に属する個人にとって、敬意を抱く価値のある存在であり、
そしてその個人が、リーダー層や組織の示す優等性と自分自身とを比較した際に、両者間のギャップの大きさを「恥」と感じ、そのギャップを埋めようと発心することが、個人がモラルを高めようとする動機を生むのである。

それゆえ、組織・集団が、そこに属する個人のモラルを高く保つためには、その組織・集団のリーダー層、あるいはその組織・集団そのものが、そこに属する個人にとって「敬」の対象となることが必要となる。

それでは、以上の考察を、日々の仕事の場面でどのように活かし、どのように組織のモラルを高めて行くことができるのか。

まず第一に重要なことは、自身がリーダーや管理者の立場にあるのならば、自身の立ち居振舞いがメンバーにとって手本となるような意識を持つ必要があるだろう。
また、自身の属する組織が、高い実績を挙げ、周囲から一目置かれるような組織であるようにマネジメントしていくことも必要だろう。


組織・集団のリーダー層がメンバーの目指すべき存在として敬され、メンバーが組織・集団の一員であることへの誇りを感じてその一員として相応しい存在となるよう自己を律する。

このような組織風土を作ることができれば、メンバーのエンゲージメントは自然と高まり、規律ある強い組織を実現できるのではないだろうか。



日本の飲食店がチップを導入することは、

我が国にとっての進歩ではなく、むしろ

退化の象徴なのではないかという直感的

判断が心に浮かんだが、何故そのように

感じたのかを考えてみた。


結論としては、本来貨幣的価値の報酬を

目的としていなかったことについてまで、

貨幣的価値として報いられることを求める

社会になってしまうのではないかという

懸念・不安が、それを退化の象徴と感じた

理由である。


経済には、マネタリー経済とボランタリー経済

という2つの考え方がある。


マネタリー経済は、あらゆるものを貨幣的価値に置き換えて考える経済観であり、

ボランタリー経済は貨幣的価値によらずに価値を交換し合うような経済観である。


分かりやすい例でいえば、

家事労働を賃金換算するという考え方がマネタリー経済、家族のために無償で家事をするのは当たり前という考え方がボランタリー経済である。


本来、我が国においては、報酬をもらうもらわないに関わらず、気持ちの良い接客をすることは当たり前の文化として根付いていたように思う。

海外に出れば、スーパーのレジ等の接客態度のあまりの悪さにカルチャーショックを感じたことのある人も少なくないだろう(勿論、海外にも無償で素晴らしいサービスをしてくれる人はたくさんいる)。


日本文化のおもてなしとは、お金の対価として差し出すサービスではなく、相手を思い遣る気持から自然に生じる心配りがその本質であり、それは乃ち、高度で豊かなボランタリー経済の最先端といってよいものかもしれない。


ボランタリー経済は数値化・定量化できるものでは必ずしもないが、このような目に見えない価値を大切にすることは、数値化して測定できる価値以上に我々の生活を豊かにする力があるようにも思う。


折角日本にはおもてなしという、ボランタリー経済のお手本のような無形の価値があるにも関わらず、それをチップという形で金銭的価値に換算し、サービスの対価に金銭的報酬を求めるような動きが生まれてしまうことは、広く一般に根付いていた自発的なおもてなしの心遣いという我が国の誇る豊かな無形の資産を毀損するという意味で、やはり社会的・文化的な退化なのだろうと思う。




リーダーの重要な資質の一つに「運の良さ」があるという。
特に、リーダー個人の運の良さ以上に、リーダーが率いる組織全体に運を引き寄せられるかどうかが問われてくる。

この「運の良いリーダー」が共通して持っていると言われる特性については、以下のようなものがあるとされる。
一つ一つ吟味し、自分自身もまた、チームに運を引き寄せることのできるリーダーを目指したい。
(運というものについては、科学的・論理的に扱えるものではなく、科学や論理を超えた、目に見えない心の力のようなものなのかもしれない。)

▪️心の姿勢が積極的
常に前向きで積極的
物事を前向きに解釈する
性格が明るい
挨拶や笑顔など周囲を明るくする

▪️ノンバーバルコミュニケーションを重視
心の中で思っていることは、表情や声色、仕草を通じて相手に伝わる。
そのため、心の中で、相手に対する敬意や感謝の姿勢を持ち、それが雰囲気となって相手に伝わる。

▪️私心がない・少ない
自分が成果を出すのではなく、メンバーやチーム全体が成果を出すことを重視している。
個人の利害ではなく、全体の利益を判断基準にしている。
社会や組織についての高い理想を持っていてる。
エゴマネジメント力が高く、エゴに振り回されることがない。

▪️人格が高潔
後ろめたさを感じるような行いをせず、健全な自尊心を持っている。
わがままな振舞い、自己中心的な振舞いをしない。
陰徳を積んでいる

▪️哲学・信仰を持っている
積極的な心、私心を慎む、高潔な人格といった特性の源泉となる哲学や信仰を持っている。
哲学や信仰が判断基準となっており、腹の座った決断・意思決定をしている。


日々の仕事や生活について、

これを自身の成長のための修行と捉える

マインドを持つことは、心の姿勢を積極的に

保つと共に、日々の振り返りと反省を習慣化

することのできる、大変有効な思考習慣で

あると思う。


▪️心の姿勢を積極的に保つ

日々修行という意識を持っておくことで、マイナスな出来事もプラスに捉えられるようになる。

マイナスな出来事を、自分を成長させる機会と捉えることで、物事の解釈を消極的ではなく積極的に捉える習慣が身につく。

また、自分の落ち度が原因で招いた事態ではないか

という捉え方をすることで、他責思考を排し、自責思考で考えることが身につく。


▪️振り返りと反省の習慣化

日々修行と捉えて、自身の成長を目指していく

中で、自然と自身の立ち居振る舞いや言動を

反省することが習慣になってくる。

これにより、自身の周囲の環境を、自身の人間性を映す鏡として捉えることができ、日々自身の至らぬ点を振り返ることで、少しずつ良い環境を引き寄せると共に、周囲にとっても好ましい影響を与えられることにつながるのではないか。


日々修行という心構えがないと、

不快な出来事やマイナスな出来事を積極的に捉えることができず、結果として、心が消極的に反応する悪循環を生み出してしまうかもしれない。


修行という、いわば自身を未熟な存在と自己認識することで、日々起きる出来事を全て自分にとって意味のある積極的な出来事として解釈することが基本姿勢となっていく。

そして、それにより自身の傲慢さや怠惰といったような人格的欠陥の発現に敏感となり、自分を周囲にとってより好ましい存在に日々作り替えて行くことにつながる。


日々是修行のマインドを持ち、

常に積極的・前向きに生きる姿勢を習慣化して行きたい。






六道輪廻という仏教の教え


これによると、今の日本は(というよりも世界全体は)畜生道に向かっているという。


どういうことかというと、

その本質は、我儘・自己本位・利己的振る舞いを以って人間の尊厳、基本的人権だとしていることである。


確かに、今の世相を見るに、

利己心の発揚こそが人間の尊厳だという考え方が支配的になっているように見える。


また「勝ち残り」「生き残り」「経済成長」「競争」「負け組勝ち組」などの言葉が示しているように、今の世相の本質は生存競争だと言える。


では、天道・人道とはどのようなものか?


それは、利他や調和といったものが基調となり、

生存競争ではなく共存共栄が本質となるのでは

ないだろうか。


例え微力ではあっても、一人でも多くの個人が人格向上に務め、利他や調和の精神が広がって行くことで、少しずつ世の中は天道・人道に近づくことができるのだろうと思う。



本気になれる人、それは、心に理想を抱いている人なのではないか?


国家とはこうあるべきだ

我が社はこうあるべきだ

人間はこうあるべきだ


など、心に理想を抱き、そしてそれを実現することに強い価値を見出している。


本気になれる人とは、畢竟このような心理的傾向を持っているのだろうと思う。


反対に、何事にも本気になれない人

静かな退職と言えば格好がつくのか知らないが、

日々の仕事に本気で取り組めない者

言い訳ばかり、他責ばかりで仕事に本気になれない者

批判のための批判ばかりで、自らの負うべき責任に対して本気になれない者


このような、本気になれない人に共通する要素は、

自身の仕事や責任を負うべき領域に対する理想がないことだと言えるだろう。


今回の選挙で言えば、

本気で国を良くしたいと思っているのであれば、

相手の発言の上げ足を取るようなことはせず、

問題の本質、課題の本質に関するような議論を

求めるはずである。


しかし、昨今多く見られる傾向としては、

批判のための批判、印象操作目的としか思えない上げ足取りなど、およそ真剣に本気に公務に携わっているとは思われないような利己的動機による行動が蔓延している。


少なくとも公務に携わる以上、他者や国家社会に責任を負う立場にある以上、理想を心に抱き、その実現に向けて本気になる姿勢は極めて重要な資質であると思う。


もしそのような人物をリーダーに戴くことができていないのだとすれば、それが我が国の国難の根源だとも言えるのではないだろうか。


武田信玄曰く

本気になれば知恵が出る

中途半端だと愚痴が出る

いい加減だと言い訳が出る


日本人が古来大切にしてきた、人としての生き方のサマリーとなるものとして、教育勅語が挙げられる。

アレルギーを感じる人も多いだろうが、ここで述べられている内容は普遍的に価値のあるものであり、現代でも教育の指針として十分に価値あるものと感じる。

以下、多分に主観が加わってはいるが、教育勅語で述べられている内容の意訳を述べたいと思う。

・公に貢献する心を持つ
・両親、家族を大切にする
・友人を大切にする
・夫婦関係を良好にする
・和の心を持ち、協調性を大切にして、
 気持ちの良い社会を作る
・教育を大切にして、社会の一員として好ましい
 人間となるよう責任を持って育てる
・謙虚で素直な心を持つ
・思いやり、慈愛の心を持つ
・よく学び、真摯に仕事に取り組み、自らの
 能力を高める
・徳を養い、人格を高める
・世のため人のための仕事をする
・社会のルール、コンプライアンスを尊重する
・有事の際等、人々を助けるために進んで
 力を貸す
・先祖代々守り継いできた国柄や歴史、伝統を
 護り、後世へとつなぐ




利他とは、個人を超えた公の大義を動機とすること


利己とは、私利私欲を動機とすること


例えば、仕事において、自己の主張を押し通そうとする人がいたとして、一見それは利己的に見えるが、それが会社全体の利益のために不可欠と信じてのものであれば、その行為は本質的には利他である。

一方、口では会社のためと言っておきながら、その発言の目的が保身にあるのであれば、表面上は利他的だが、その本質は利己である。

利他的とは、決して個人を蔑ろにするものでも、自分を犠牲にすることでも、卑屈になることでもない。
そうではなく、個人を超えた大義のために、公益のために、会社や家族のために、個人の能力を使うことが利他の本質なのではないか。

より端的に言えば、誰かの役に立つ、或いは誰かを助けることをするという、ただそれだけのことである。

一方で、公を考えず、他者への影響を考えず、会社や家族も顧みず、個人的な利益やエゴを満たそうとすることが利己的である。

利他という言葉にアレルギーを感じたとしても、ここで述べたような利己的行動が人間として正しいと感じる者はいないだろう。

利他的とは決して、自分個人を否定するものではなく、自分も活かして他者も活かすというものであり、誰にでも当たり前に実践できる道である。

昨今、利己的な振る舞いは個人の権利・自由だとでも言わんばかりの風潮が一部に見られるが、そんなことが罷り通れば社会の秩序は崩れ、社会に対して信頼を寄せることも、いずれできなくなるのではないだろうか。




AIが管理職を代替するという発想には、

根本的に欠けている視点がある。


それは、人間の能力を理性偏重に捉え過ぎており、判断力、決断力、リーダーシップ、洞察力等、知能や論理的思考能力だけでは捉えられない感性的能力を考慮していないことである。


生身の人間に責任を追う立場にある者にとって、

AIに代替され得る知的能力は最重要な資質ではない。

むしろ、組織を活性化させ、組織の総合力を

高めるような能力こそが求められるのでは

ないだろうか。


そのような能力を発揮するためには、

論理思考や分析力のような知的能力以上に、

人生経験に裏打ちされた洞察力、人を惹きつける

リーダーシップ等のような、総合的な人間力が

求められる。


これらは決してAIに代替できるものではなく、

生身の人間が真摯に人生と向き合う中でしか

獲得できないものである。


AIは、それを適切に使えば仕事の生産性を高め、

我々の社会をより良いものにしていく強力な

ツールとなるだろうが、それを口減しの道具

として用いるのであれば、人類にとって不幸な

結果を招きかねない。


AIを適切に使うためには、使う側の仕事観が

問われてくると思う。


仕事とは、単に利益だけを目的とするのではなく、

人々の生活を支え、成長機会となり、そして

生きがいを与えるものでもあることを忘れては

ならないだろう。