資本主義の大崩壊を防ぐためにどんな手立てが有るかみたいな観点で、複数の識者が「贈与」の概念とゆうか機能をもっとビルトインしていこうかみたいな記述をしてたの見た。「贈与」って何かとゆうと、例えばだけど。若かりし頃、金無いけど飲みたいって時にちょいちょい年上の社長さんとかにおごって貰えて嬉しかった記憶有る。
まぁ、これも資本主義的見方からすれば一種の「投資」と言えなくもない。将来おごってやった人物(この場合俺ね)から、より大きなリターンを期待するみたいなね。そしてこれは「いやらしい」考え方とも言えるんだろけど、そもそも資本主義って、いやらしい(けども魅力的)パラダイムだったりするもんね。
で、仮に俺が、おごってくれた社長さんに恩義を感じて、出世後とかにお返しをしたとする(全然出世してなくてごめんちゃいw)。資本主義オンリーな観点だと、社長にとって、これは投資の回収すなわちリターン。贈与の観点だと、贈与のお返し、いわば相互贈与みたいなものになる。
さらには、社長に返すのではなく、昔の俺みたいな若者とか、つまり金は無いけど、もっと呑みたいなぁって顔をしてる奴を見つけて来て、おごってあげてもいい。これは「贈与」的見方では、贈与の世代間引継ぎみたいなやつと言えるんだと思う。
別におごるとゆう「金銭取引」に限らなくていいんだけど、一応、当初の「資本主義に何を加味もしくは修正してけば良いか」とゆう観点だから金銭マターに限ってるだけで有って、例えば映画「ペイフォワード」に見られるような善意とか相互扶助の先渡しみたいな機能にまで発展していければ、それは金銭取引に限らず、人の営為全般に該当する、持続可能性が保全された、安定安全ぽいシステムが出来てきたりすんじゃないかと期待してたりします。
つまるところ、例の「おごる」とゆう行為一つをとっても、資本主義的な損得勘定を念頭に置いたりするんじゃなくて「贈与」的概念で考え、感じつつ行っていく。まぁ、どっちかとゆうと普通そうだと思うしね。「将来こいつビッグになって、がっぽりお返ししてくれるだろうからおごっておくか」って考えておごってる人はあんま居ないよね。そんないやらしい考えの人は、居ても少数派だと信じてますw
話を広げていくと、同じ行為をするにしても「資本主義的パラダイム」にのみ縛られるのではなくて「贈与的パラダイム」をもっと考え感じとりつつ日々を過ごしていく。こういった言動や思考回路の「パラダイムシフト」を持ち込めれば、徐々に資本主義的クライシス、具体的には「バブルとその崩壊による景気変動、その変動幅の増大化による社会全体の持続可能性の脆弱化、もっと簡単に言えば世界経済全体の大崩壊」みたいなおっかないヤーツを防げるかもしれない。少なくともサスティナビリティー(持続可能性)は補強できるはず。そんな事を考えたりしてます。知力が、そこそこ働いてる時限定だけどねw
結論として、繰り返しになるんかもだけど、何をするにつけ、「資本主義的」損得勘定みたいなのはなるべく意識せず、「贈与的」優しい気持ちのやり取り?wみたいな事を意識してみんな生きていくように心がけていけば、結構いけるかなーみたいな。奇麗事に聞こえるかもだけど、まぁこうゆうのは「躾とか教育方針の見直し」あたりで、時間はかかるかもだけど、出来なくは無いとは思ってます。もっと景気とかが悪くなって、資本主義に内在してる脅威みたいな部分が顕在化して「社会大崩壊のクロフネ」みたいな奴がみんなの目にも明らかになってからじゃないと変えていけないかもだけどね。
あと、マルクス曰く「資本主義は麻薬」のようなものらしいので、なかなか足を洗っていけないかもだけど、まぁヤク中から更生した人だって世の中結構居るらしいんで、なんとかなるはず。
久々にいっぱい書いちゃったけどwもしか全部読めたリア友が居たら、自己申告してくれれば、まぁ一杯くらいは「贈与」しますねテヘペロ
