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一乗寺浩詩のブログ小説の世界

一乗寺浩詩 書き下ろし小説




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脳梗塞に打ち勝つ不屈の闘志不屈の精神(1)
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今年も後数時間で終わろうとしている。
来年に向けての目標はできたでしょうか。
ボクの目標は 元気で笑顔でいること。




笑顔というのがなかなか
曲者(くせもの)
好きな人の前では
自然と笑顔でいられるが



嫌いな人の前では
なかなか笑顔が作れず
つい引き攣ってしまう。





辛い時、悲しいときでも
相手の前では笑顔でいよう。



笑っていれば 
何かあっても心配ないと思ってくれる。



だからいつでも笑っていられるような
そんな素敵な笑顔を身につけたい。




これから書くことは音楽のことではない。



スカパーで昨日見た
プロレスの古い試合のことです。




常日頃から音楽もプロレスも同じだと 
ハヤタがボクに言っていた。



プロレスラーの入場曲は
確かにロックミュージックが使われる事が多いが




その人の命を賭けた生き様なんだ・・・
なんとなく実感させられる出来事があった。




試合の方は2010年1月4日の東京ドーム
試合は中邑真輔vs高山善廣 戦です。
試合というよりも選手のことです。



中邑真輔選手というのは
若い頃に初挑戦で
IWGPヘビー級王座を獲得早々と王者になり




2003年の大晦日の試合で
当時人気だったK-1選手と戦って鼻の骨を折った。



試合後何日も経たずに
2004年1月4日の新日本プロレス東京ドームの試合で
高山選手を破ってNWFヘビー級王座を奪取したエリート選手。




ここでボクが注目するのは 
その相手選手の高山善廣選手だ。



日本人選手にしては
身長が196cm
体重が125Kg恵まれた大きな体格をしている。



UWFに入団してルーテーズ流の技を学び
その後全日本プロレス入りした。



当時は痩せていた高山選手を見て
ジャイアント馬場は
「こいつは磨けば光る」と目を付けた。




恵まれた大きな体をいかした必殺技で
あらゆる団体のチャンピオンベルトを技で奪い
プロレス界の帝王と呼ばれるまでになった。





しかし
ボクがTVで知ったのは
高山選手の重度の喘息のことだった。












2010-01-04 東京ドーム
中邑真輔 vs 高山善廣 パート1 試合映像↓









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一乗寺浩詩のブログ小説の世界




オーティスの歌を受け継ぐもの
それは
彼の音楽を愛し
少しでも長くPLAYして
後世に伝えることではないだろうか。


歌うことができれば
その伝承を受け継ぐこともできる。



Sittin' On The Dock Of The Bay

Playing For Change



世界中のミュージシャンが
1つの歌をつないでゆく
音楽プロジェクト
「PLAYING FOR CHANGE」



この「PLAYING FOR CHANGE」
プロジェクトは
音楽を通して世界に
活気やつながり、
平和をもたらすことを
目的とした音楽プロジェクト




2004年に行なわれた
第47回グラミー賞において
ベストコンテンポラリー
ブルースアルバム部門の
受賞経験を持つ
プロデューサー
エンジニア
マーク・ジョンソンが
立ち上げたもの。




彼は世界各地へ
数年にわたる旅の中で
100人以上のミュージシャンの
パフォーマンスを収録。



オティスレディング
「ドック・オブ・ザ・ベイ」


ROGER RIDLEY
から始まり
Grandpa Elliot に歌いつないだ。



世代を超えた世界中の人々が
名曲をあたかも自分のオリジナルのように
演奏するパフォーマンスを
巧みな最新技術で編集し
世界中のミュージシャンが
ひとつの楽曲を
一緒に奏でている ように仕上げている。



やっぱり音楽ってのは
一つにつながっているんだな・・・。
僕はそう実感した。




正直 オープニング

ROGER RIDLEY   ロジャー・リドリー)
の歌声を聴いたとき
僕は背中に鳥肌が立った・・・
まるでオーティスレディング
歌っているようだった。



僕は彼が
オーティスレディング
生まれ変わりじゃないだろうかと
感じたほどだった。


ロサンゼルスをベースに活動していた
ストリート・ミュージシャン
ROGER RIDLEY
(ロジャー・リドリー)の演奏が
ベースになっていていい映像になっている。
重要な役割を果たした人だが
2005年に亡くなっている。


彼のソウルフルな歌声に
僕は酔いしれていた・・・。


「自分は『喜び』を与える仕事に就いているんだ。」
ストリートミュジシャン
彼のその言葉にも感動した。


オーティスのように亡くなってしまったが
思い出と その歌声は人々の
心の中で
今も生きている。




本当に素晴らしい歌声だ。
感動した。
あらためて彼に拍手を贈りたい




PV映像http://bit.ly/r5QJW7




一乗寺浩詩エッセイ「いろはにほへと」


スモールフェイセスって何(2)


一乗寺浩詩のブログ小説の世界

バンド名の
スモール・フェイセス (Small Faces)
(1965年 - 1969年)は  
中心メンバーの



スティーヴ・マリオット
ロニー・レーン
ケニー・ジョーンズ(ドラム)3人
背が低くて小柄(Small)
音楽シーン
顔役という意味を込めた
「Face」という言葉からきている。

      



1966年発表のファースト・アルバム
『スモール・フェイセス』
全英3位成功作となった。



「オール・オア・ナッシング」
全英1位ヒットとなる。



その後
契約上の問題などから
デッカレコードとの関係が悪化して
バンドは別のレコード会社に移籍する。



1967年 スモールフェイセス
イミディエイトに移籍する。




移籍後「イチクー・パーク」(全英3位)
「ティン・ソルジャー」(全英9位)
立て続けにヒットする。






やがて米国に進出。
「イチクー・パーク」は全米16位大ヒット
「ティン・ソルジャー」は全米73位。


スモールフェイセス
この2曲のおかげ全米チャート・インも果たした。



1968年『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』
見事
全英1位



しかし時代の波は 
クリーム
ジミヘンドリックス
ビートルズ影響
サイケデリックサウンド
スモールフェイセス
取り入れようとしていた。



本格的ロック目指す
スティーヴマリオット 
これに嫌気がさして
メンバーを捨てて


バンドを脱退すると 
すぐにハンブル・パイという
バンドを結成した。


一乗寺浩詩のブログ小説の世界













バンドの顔でもある
ボーカルとギターのいなくなった
スモール・フェイセス




ロニー・レーン
イアン・マクレガン
ケニー・ジョーンズ
残った3人




スティーヴマリオット
いなくなっても
解散もせず
新メンバーを探していた・・・





つづく

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